外貨獲得で半導体・鉄鋼レベルに! 50兆円をゲットだぜ!日本のゲーム#24Photo by Masato Kato

1980年代から続くスクウェア・エニックスのロングセラーRPG「サガ」シリーズ。特集『50兆円をゲットだぜ!日本のゲーム』(全25回)の#24では、同シリーズを30年にわたって統括してきた河津秋敏総合ディレクターに、シリーズに込めた思いと次世代に伝えたいゲーム作りの神髄を聞いた。また、プロデューサーである市川雅統氏が、ロングランブランドの育成と今後の発展についても語ってくれた。(ダイヤモンド編集部 鈴木洋子)

これまでにないRPGを作ることを
追い続けてきた35年

――長寿ロールプレイングゲーム(RPG)のサガシリーズはどのようにして始まったのでしょうか?

河津 任天堂の新型携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」に、何か新しいソフトを作ることになって。当時は「テトリス」が大流行していた時期で「何かパズルゲームなどお手軽な新しいソフト」を、という当時のスクウェア経営陣の指示に対して「携帯ゲーム機でもRPGを遊びたい人は絶対いるはず」と主張して1989年に作ったのが、サガシリーズ第1作目の「魔界塔士サ・ガ」でした。

 当時はまだ別の会社だったエニックスが86年に「ドラゴンクエスト(ドラクエ)」を出して大ヒットし、スクウェアも対抗して87年に「ファイナルファンタジー(FF)」を出したばかりの頃でした。ディレクターの坂口博信さんの下で僕もFF IとIIのゲームデザインを担当しました。

 ドラクエとの差別化で当初はより本格的なRPGを目指していたFFシリーズも、売り上げを狙う中で簡単な形になりつつありました。

 当時は今ほどゲームがたくさん発売されない時代で「小学生がお年玉をつぎ込んで1年に1本ゲームを買う」というような位置付けでした。であれば遊び応えがあるゲーム性と本格的なストーリーと世界観がある本格RPGを、という考え方をベースに作ったのがサガです。

 ゲームボーイという限られたマシンスペックだからこそ、ゲームとしては本格的なストーリーと、世界観もすごく本格的なファンタジーのものを作ろうというのが、考え方のベースにありました。1人だけ自分の分身を選んで、プレイヤーの自分がゲームの中に入っていくというより、ゲーム世界の中には既に主人公が何人かいて、同化の程度はプレイヤーが選んでいいけど、ちょっと引いた形で主人公と一緒に冒険していく、というところを狙って作っているシリーズですね。

河津秋敏総合ディレクターかわづ・あきとし/1962年生まれ。86年スクウェア入社。ファイナルファンタジー(FF)I・IIの開発に関わった後、サガシリーズの全ての開発に携わるほか任天堂向けの「FF・クリスタルクロニクル」なども手掛けた。 Photo by M.K.

――魔界塔士サ・ガは結果的に、スクウェアにとって初めての100万本販売を記録した作品になりました。その後FF、ドラクエという大きな二つの競合RPGタイトルを意識して開発をされてきたと思いますが、何に注力して作り続けられてきたんでしょう。

河津 最初はそうでしたが、今は世界中で本当にいろんなゲームが登場したので、ドラクエとFFだけ見てればいいわけではなくなってしまいました。既にあるゲームを作っても面白くないので、できるだけ今までにないRPGを作る。その中でどういう表現をしていくかは常に変えていこうと思って作ってきました。ユーザーがどういう体験をするかがやっぱり一番重要なので。

 こちらが用意したもので遊んでもらうというよりは、それを使ってどう楽しむかはプレイヤーが自由に選んでいくゲームにする、ということは常に意識をしていました。

難解なゲームシステムと決して初心者には易しくない難易度で知られるサガシリーズ。ドラクエ・FFと比べると玄人向けながらも、総合ディレクターの河津氏はファンから「河津神」とあがめられるほどの熱狂的な支持を集めるシリーズでもある。35年間シリーズを率いてきた河津氏は、どのような思いで開発を続けてきたのか?今後、ゲーム開発のクリエイティビティはどのような方向に向かうのか。次ページからは名物企画となった佐賀県とのコラボを率いる市川雅統プロデューサーと共により詳しく語ってもらった。