総予測2025#9Photo:JIJI

2024年10月の大乱戦となった自民党総裁選で、高市早苗氏を劇的に破って誕生した石破政権。ところが同月の衆議院選挙に惨敗し、早くも猛烈な逆風にさらされている。特集『総予測2025』の本稿では、「ダイヤモンド・オンライン」の人気連載『永田町ライヴ!』の特別版として、政治コラムニストの後藤謙次が、参議院選挙と東京都議会選挙が控える2025年の政局を読み解くと共に、「特別コラム」として、25年に結党70年の節目を迎える自民党の歴史を振り返る。

衆院選惨敗で少数与党に転落
メディアからは早くも集中砲火

 石破茂(67)が自民党総裁選を経て首相に就任したのは2024年10月1日。米国メディアに定着する慣行に従えば、まだ「100日のハネムーン期間」のさなかにある。発足直後の新政権に対する批判や厳しい論評を控える紳士協定のことだが、石破に対してこの紳士協定は完全に空文化したといっていい。

 大手メディアをはじめ週刊誌、ネットメディアなど多くの媒体が石破に集中砲火を浴びせる。それも政権運営、政策決定など政治の核心部分ならともかく、「ネクタイが曲がっている」「食事の仕方がおかしい」……。石破の全てを否定するかのような論評が氾濫した。さすがに石破自身も「毎日これだけやられるとこたえます」と漏らしたほどだ。

 しかも現実の政治状況は衆院選での自公の惨敗を受けて、政権基盤は衆院で過半数の議席を持たない少数与党。野党側がそろって内閣不信任案に賛成すればいつでも可決されることを意味する。このため政権発足後、初の本格的な論戦の舞台となった臨時国会で石破が力説したのは「熟議」だった。所信表明演説の冒頭で敬愛する石橋湛山の施政方針演説を引用した。

「国政の大本について、常時率直に意見を交わす慣行を作り、おのおのの立場を明らかにしつつ、力を合わせるべきことについては相互に協力を惜しまず、世界の進運に伍していくようにしなければならない」

 実はこの施政方針演説を行ったのは石橋ではなく首相臨時代理で外相の岸信介。石橋が病の床にあったからだ。昭和32(1957)年2月4日。くしくも石破が生を受けた日だった。

次ページでは、参院選と東京都議選が控える25年に、石破政権が安定した政権へと移行できるための条件を検証すると共に、「103万円の壁」の引き上げを巡る国民民主党との攻防や、立憲民主党との大連立の可能性を探る。