小説・昭和の女帝#30Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】「昭和の女帝」真木レイ子は永田町の権力闘争において、ライバルの加山鋭達と互角以上の戦いをしてきた。だが、佐藤栄作が総理の座に就き、加山が自民党幹事長に昇進すると彼女の劣勢が決定的になる。次の総理の座を狙う加山の勢いを押しとどめることはもはや不可能だった。(『小説・昭和の女帝』#30)

大蔵、通産、大企業が加山になびき「昭和の女帝」は大ピンチ

 1967年の元旦――。例年だと、大蔵省の官僚らが新年のあいさつをしにレイ子の家に集まるのだが、その年は静かだった。官僚らがレイ子と加山鋭達との険悪な関係を感じ取ったからだった。レイ子も気を遣って、新年会の案内を出さなかった。

 レイ子は母と並んで仏壇に手を合わせた。

「加山の勢いが止まりますように」

 最近、神仏に祈るとき、つい宿敵の失脚を願ってしまう自分が嫌だった。

 加山の隆盛はとどまることを知らず、いよいよレイ子は事務所を維持できるかどうか、というところまで追い込まれていた。レイ子との顧問契約を打ち切る企業が出てきたのだ。しかし、ここで敗れるわけにはいかなかった。幼少のころ、「芸者の娘」と蔑まれ、いつか見返してやると心に誓った。ここで勝負を諦めれば、「それ見たことか。やはり旦那がいなければ何もできない」と言われかねない。

 反転攻勢のチャンスがないわけではない。加山は戦後初の総選挙で落選した以外は、ほぼ勝ち続けてきた。出世街道を超スピードで駆けてきた男に慢心がないわけはなかった。レイ子は苦境をしのぎながら、必ずや加山の弱点を見つけてやろうと反転攻勢のチャンスをうかがっていた。

 隣で手を合わせる68歳の母は何を祈っているのだろう。真木甚八の死後、レイ子がこの家に移るときに、母は、新聞店の社長夫人から甚八の元妻、つまり未亡人という立場に変わった。レイ子のわがままに翻弄され、戸籍まで変えられてしまうことに、母は当初、反発していた。だが、真木という新しい「家族」をつくろうとしている鬼頭紘太から、さまざまな条件を提示されると、結局、それを受け入れた。いまではお手伝いさん付きの邸宅に住み、近隣住民に、趣味の三味線を教えるなどして優雅に暮らしている。

 母の結婚相手だった新聞店の主は、母が真木の戸籍に入ることに反対し、訴訟も辞さない姿勢を示した。このいさかいは鬼頭がカネで解決した。そもそも、どのようにレイ子の母を甚八と結婚したことにしたのか、皆目見当が付かない。なぜなら、甚八が亡くなっていたため、死後の結婚ということになるからだ。鬼頭が権力を使って国にねじ込んだのかもしれない。

 いずれにしても、甚八と母、その間に生まれたということになったレイ子という3人の家族は、普通の家族ではなかった。

 レイ子は正月2日、3日は箱根駅伝を見て過ごし、4日に鬼頭邸を訪れた。

 彼女の家から、等々力の鬼頭邸までは、クルマで10分ほどの距離である。

 鬼頭の書斎は、しばらく見ないうちにだいぶ趣が変わっていた。入って右側奥に暖炉と書棚が設えられ、暖炉の上には鬼頭が心酔していた2人の政治家の肖像画が並んでいた。三木武吉は迫力のある油絵、鳩山一郎は微笑みをたたえた水彩画だった。

 新年のあいさつを済ませると、くつろいだ様子で鬼頭が切り出した。

「しかし、正月に顔を出すなんて珍しいな。ついでにお前の着物姿も珍しい。なかなか似合うようになったじゃないか。それで、今日は何の用だ」

 年末年始は会食が多いのか、鬼頭は以前よりも肥えて血色が良くなっていた。

「特に用があってというわけではないんです。今年は自民党にとって大事な年ですから、ごあいさつに伺っただけです」

「佐藤内閣か……。加山鋭達はなかなかの曲者だ。幹事長を外されたが、必ず復活してくる。加山と、真木甚八先生の関係はどうだったんだ」

 それまでレイ子は、加山について鬼頭とじっくり話したことはなかった。それだけ鬼頭が加山に関心を持っていなかったともいえる。だが、総理総裁になった佐藤の下で、加山が重用され、さすがに無視できなくなってきたのだった。

「加山さんは終戦前、軍需工場を内地から朝鮮に移設する大きな仕事を請け負っていました。この工事を受注できたのは父の口利きのおかげだと思います。でも、終戦で工事が中止になり、陸軍の予算が棚ざらしになったものですから、加山さんは上手く立ち回って一財産つくったんです。密かに内地に持ち帰った建材などは父がさばいてあげました。それとは別に、加山さんは宝石も密輸していました。そちらのほうは、ご自分で処分したようです」

「ほう。それはいいことを聞いた。戦後、二人の関係は?」