小説・昭和の女帝#29Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】レイ子は永田町で権力の階段を着実に上り、大蔵省や通産省のタニマチと称されるまでになった。だが、ライバルの加山鋭達が史上最年少で蔵相に就き、彼女の縄張りを侵していく。『小説・昭和の女帝』の第四章(#29~#32)では、レイ子と加山の因縁の対決に迫る。(『小説・昭和の女帝』#29)

加山の出世を止めるため、レイ子が佐藤総理にした「告げ口」

 レイ子が虎の門の自転車会館に事務所を構えて3年余り――。彼女の元には官僚や政治家、財界人が日参し、事務所は活況を呈していた。

 その日は、大蔵官僚を集めた会合が、自転車会館地下の料理屋で開かれていた。大蔵省の主要ポストに就いている各入省年次ごとのトップ、つまり将来の事務次官候補たちが定期的にレイ子の下に参集するのだ。大蔵だけではない。通産、運輸などの各主要省庁の官僚を招く同様の会合が、毎週のように開催されていた。

 役人からすれば、レイ子は予算の折衝や、議員を通じて持ち込まれる無理な陳情の処理などで頼りになる存在だ。自民党幹事長の秘書として党のカネを分配していただけあって、彼女が介入すればややこしい案件が瞬時に解決する。嫌われ役もいとわない彼女は、並の大臣クラスの政治家よりも力があるとみられていた。

 その半面、彼女から「あの人は駄目ね」と烙印を押されてしまうと、官僚としての出世が難しくなる怖い存在でもあった。彼女は、仕事の出来だけでなく、モラルや清潔感にもうるさかった。女性関係がだらしない者は、容赦なく会に呼ばれなくなった。お呼びがかからなくなるということは、主流派から外されたことを意味するのだった。

 食後のコーヒーを飲んで会がお開きになると、官僚たちは土産の袋を持たされる。段ボールが一つ入りそうな袋の中には、御菓子司岡埜栄泉の大福、どらやき、ワッフル、梅干し、らっきょうなどの一級品。さらには、アメリカ産のグレープフルーツなどが入っており、ずしりと重い。

 さらに袋の中には、課長級なら5万円、局長級以上には10万円の小遣いが入っている。料理屋の女将が「大事なお手紙が入っています」と言って袋を渡すのは、官僚が袋のまま部下たちにやってしまわないようにするための配慮だった。

「藤本さん、真木先生がお話したいことがあるそうです。9階へお願いできますか」

 女将が藤本久人に耳打ちした。藤本は、レイ子が佐藤栄作にリンゴの唄を歌わせた際、その場に居合わせた官僚で、レイ子から特に可愛がられていた。現在は、国税庁直税部所得税課の課長補佐を務めている。彼の上司の国税庁直税部長は、レイ子の父の真木甚八が財産を注ぎ込んで応援した鳩山一郎元総理の長男である鳩山威一郎だった。

「お姉さま、今日はありがとうございました。相変わらずいいお声でした」

 藤本はレイ子の執務室に入ると、昼食会で彼女が披露した美空ひばりの歌をほめた。会では生々しい話はしない。レイ子や官僚が歌を披露するなど終始、和やかな雰囲気である。

 藤本が気安く「お姉さま」と呼べるのは、彼の父が、レイ子の父である真木甚八のホームドクターだった縁で、幼いころから彼女と顔を合わせていたからだ。普段は他の官僚と同じようにレイ子のことを「真木先生」と呼ぶ藤本だったが、二人きりになると親しみを込めて「お姉さま」になるのだった。

 事務の女性が番茶を出した。最近、レイ子は再びアルコールを自粛し、コーヒーなどの刺激物も控えていた。事務所を構えてから、もう一度、風紀を正し、健康管理に気を付けるようにしたのだ。

「今日も楽しかったわね。来月の会は12月の予算折衝で皆さん忙しいでしょうから延期して、例年通り、お正月の会を私の家でしようと思ってるの」

「それは楽しみです。大いに飲んで歌って、お庭で羽子板でもやりますか。それで、今日のご用向きは」

 藤本が水を向けると、レイ子は憂鬱な表情で言った。

「実は前回の会の後、地下鉄の駅にお土産の袋がそのまま捨ててあったの」

 それを聞いて、藤本も顔を曇らせた。

「別に捨てられることに文句はないけれど、問題はお土産を役所に持ち帰りにくい雰囲気だっていうことね……」

「それを言われると私も何とも。いかんせん大臣が、就任時より力を付けていますから」

 大臣とは、池田内閣で、史上最年少の44歳で大蔵大臣に就任した加山鋭達のことだった。

 レイ子は自民党幹事長を務めた粕谷英雄の秘書として党の台所を掌握していた。もちろん、すべてを彼女の思い通りにできたわけではなかったが、要所要所で調整役を果たすことで、官僚や企業の経営者から絶大な信頼を勝ち得ていた。

 問題は、粕谷が幹事長を退任した後だ。加山が党三役の政調会長に昇進して存在感を強め、さらにその1年後に大蔵大臣に抜擢された。佐藤栄作の派閥の代貸しとしての地位を確固たるものにしたこともあって、レイ子に忠誠を誓っていたはずの官僚たちが加山になびき始めていた。これは大蔵省ばかりでなく、通産、運輸、農林といった主要官庁でも同様だった。

「大臣の人たらしは相当なものです。お姉さまの会に参加した官僚を特定して干し上げるなどということはしないと思いますが、今後どうなることやら。池田総理の次は、佐藤総理が既定路線。加山大臣は、吉田学校の系譜に連なる自分が、池田、佐藤の次を担うというぐらいの意気込みだと思います」

 大臣就任直後、加山が大蔵省職員らを前に行ったあいさつは有名だった。

「私が加山鋭達であります。皆さんご存じの通り、高等小学校卒業です。皆さんは全国から集まった天下の秀才で金融、財政の専門家ばかりだ。かく申す小生は素人ではありますが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきており、いささか仕事のコツは知っているつもりであります。これから国家のために一緒に仕事をしていくことになりますが、お互い信頼し合うことが大切だと思います。したがって、今日ただいまから、大臣室の扉はいつでも開けておく。我と思う者は、今年入省した諸君も遠慮なく大臣室に来てください。そして、何でも言ってほしい。上司の許可を得る必要はありません。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの加山鋭達が背負う。以上」

 この演説は、エリート官僚だけでなく、その場にいた新聞記者の心にも響いたようで、翌朝さっそく活字になった。その記事を読んだレイ子は内心、「加山は近年、人心掌握術に磨きをかけている。いよいよ油断できない」と危機感を持った。

 加山は、予算編成が終われば「部下と飲んで慰労してやってくれ」と金一封を幹部職員に配ったり、職員の妻の誕生日にプレゼントを贈ったりしてシンパを増やしていた。挙げ句の果てに、政治家向きの官僚には、「国会議員にならないか。佐藤派として応援するぞ」と誘う始末だった。

 藤本は「実は私も誘われていまして……。いまのところ大先輩が毎年、出馬していて、順番待ちのような形なので強くは勧められませんが、いつ断れなくなるかと戦々恐々としています」と白状した。

 レイ子の悪い予感が当たってしまった。藤本は十代のころから甚八やその子飼いの政治家たちから「お前は政治家向きの顔だ」と褒められていた。ぎょろりと目が大きく、覚えられやすい上、笑顔に愛嬌がある。穏やかな語り口も、有権者に親しまれるに違いない。レイ子はいずれ藤本を政治家として育てたいと思っていたので、加山の横やりは不愉快以外の何物でもなかった。

 加山の隆盛は、彼女にとって切実な問題だった。粕谷は前々から糖尿病だったが、さらに衰弱して車椅子を使うようになった。国会開会中以外は家にこもることが増えた。彼女が独立する際、粕谷の妻から「今後も応援いたしますので、粕谷事務所は辞めないでください」と懇願された。それで、形ばかり秘書を続けているが、もはや粕谷の秘書というだけではカネも権力も保持できないのだった。