感情に訴えかけて逆転を狙う
「選挙フェス」的な発想
悪い方向に流れている根底にあるのは、選挙で目立ってやろうという行為だけでなく、選挙が盛り上がることが重要であるという「選挙フェス」的な発想そのものだというのが私の見立てだ。
「選挙フェス」の源流は、直近でいえば2013年参院選に立候補した三宅洋平だ。私も当時取材していたが、選挙フェスと称してレゲエを演奏しながら脱原発などを語った三宅の選挙は確かに斬新ではあった。今から振り返れば、彼の言葉は単に感情に訴えかけるだけのチープなもので具体的な政策もなかったが、「反安倍晋三政権」を訴える左派・リベラル系著名人や知識人を中心にした支持を獲得していた。
その後、演説会に「祭り」という言葉を多用したのは、一時、三宅とも共闘したれいわ新選組の山本太郎だった。「生活が苦しいのを、あなたのせいにされていませんか?努力が足りなかったからじゃないか?違いますよ。間違った自民党の経済政策のせいですよ」と「上」と「下」の対立構図を作り上げながら、彼は国政選挙でも20年の東京都知事選でも選挙という祭りの主役になろうとした。
一時の感情や共感をフックにして選挙を音楽フェスのように盛り上げて逆転の可能性に賭ける、もしくは自分の名前や主張を世に知らしめる。こうした手法はポピュリズムと相性がいい。
個性派俳優から脱原発活動家へ
そして政治家に転身した山本太郎
山本太郎――1974年に生まれた彼が初めて世に出たのは「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」である。いかにも素人然としながらもコミカルなダンスと「メロリンQ」という決めフレーズでブレイクし、高校生ダンサーになっていく。強い個性を芸能界が放っておくわけもなくとんとん拍子で役者デビューも決まり、2004年にはNHKの大河ドラマ『新選組!』に原田左之助役で出演して注目を集め、これもNHKの若者向けトーク番組「トップランナー」では05年から08年まで司会を務めた。若者同士の殺し合いという設定で物議を醸した映画『バトル・ロワイアル』(00年公開)の生徒役も強い印象を残した。
2011年の東日本大震災、東京電力福島第一原発事故以降、個性派俳優から極端な反原発運動家になっていた山本太郎が初当選を果たしたのは13年の参院選の時のことだ。当時の彼は、福島の現実を細かく取材していた私からみれば、時におよそ根拠が不確かな福島危険論を展開する運動家だった。それから6年で、山本は明らかに変化していた。一運動家から左派ポピュリズムを体現する政治家に、である。