山本太郎「私は右でも左でもなく…」取材陣が思わず笑った「意外なひとこと」Photo:SANKEI

56人もの立候補者が乱立した2024年の東京都知事選で見られたように、選挙という場がどこか誤った使われた方をしているように感じた人も少なくないだろう。その悪い流れは、選挙で盛り上がることを重要視する「選挙フェス発想」から始まっている。その代表格として挙げられるのが、個性派俳優から脱原発活動家を経て政治家に転身した、れいわ新選組の山本太郎だ。しかし、彼ら左派ポピュリストが導き出した解は果たして正しかったのか。ジャーナリストの石戸 諭が解説する。※本稿は、石戸諭『「嫌われ者」の正体:日本のトリックスター』(新潮新書)の一部を抜粋・編集したものです。

「恥を知れ」の石丸伸二の
「ど」定番な選挙手法

 意外なほどに演説はぱっとしない。

 それが2024年東京都知事選に立候補し、「政治屋を一掃したい」とまったくの無印から約166万票を集め、3選を果たした小池百合子の次点につけた石丸伸二の印象だった。

 広島県安芸高田市長しか行政経験がない石丸が票を伸ばしたことは、社会的にはかなり驚きをもって受け止められていたが、私はむしろ東京都知事選におけるクラシックなパターンの強さを再認識させられたという評価が適正ではないかと考えていた。

 市長時代の石丸は「恥を知れ」という言葉を使い、市議会との対立構図を作ったことが最初に注目されたが、既成政党への不信感に訴えかける言葉自体に新しさは何もない。むしろ、1967年の東京都知事選で左派を中心に擁立された美濃部亮吉も使った「政党色、組織色を消す」「特徴的イメージを作る」というクラシックなパターンを新しいメディアを使ってなぞっているにすぎない。発信に使ったのがYouTube、あるいはSNSだということは新しいかもしれないが、支持される構造そのものはむしろ「ど」がつく定番のそれである。

 興味深かったのは、彼が出陣式をやるという渋谷駅に集まった支持者の年齢層が意外なほど高かったことだ。1984年生まれの私と同世代かそれ以下は目立つほどに少なく、中心にいたのはむしろ高齢層だった。それも当然と言えば当然のことで、Windows95が発売され、多くの人にとってインターネットが身近な存在となった1995年をインターネット元年とするのならば、当時の若者はすでに50代以上で、石丸が主戦場としたYouTubeは身近なメディアになっている。インターネット=若者向けメディア、という認識がそもそも古くなっているということくらいしか指摘できる要素はないのだ。そこで突きつけられたのは、インターネットというメディアが革新的なツールだった「夢」が完全に終わったという現実だろう。

 建前ばかりが達者な“小ポピュリスト”たちの祭典――それが2024年の東京都知事選だった。悪い意味でついにここまできたかと思った有権者は少なくないだろう。