老舗企業が「Bコープ」認証に見出した価値と環境再生型経済【対談:ロブ・サミュエルズ・メーカーズマーク当主&鳥居希B Market Builder Japan共同代表】(c)株式会社バリューブックス

インクルーシブ(包摂的)かつ公平で、リジェネラティブ(再生)経済システムへの変革を目指すグローバルムーブメント「B Corporation™︎(B Corp)」。非営利団体B Lab™︎が提供する審査基準に達した企業に「B Corp認証」を付与するなどして活動を広めている。102カ国で9503社(2025年2月13日)が認証され、日々増加中だ。その認証企業で世界最大の米国バーボン蒸溜所メーカーズマークの当主 ロブ・サミュエルズ(Rob Samuels)氏と、日本でB Corpムーブメントを推進するB Market Builder Japanの共同代表の鳥居希氏(バリューブックス社長)の間で交わされたB Corpの意義やリジェネラティブ経済に向けた活動の話をレポートする。(文/ダイヤモンド社 論説委員 大坪 亮)

伝統のレシピを燃やし
業界の方向性を変えた

鳥居:私たちの会社バリューブックス(VALUE BOOKS)は2007年に設立され、長野県上田市を拠点に書籍の買取と販売を行うオンライン書店です。毎日集まる約3万冊の本のうち、約1万5000冊を販売しています。また、販売できず古紙回収にまわるはずだった本にも新たな価値を生み出し、再活用する取り組みを展開するなど、よりよい本の循環を育んでいます。私たちのミッションは「日本および世界中の人々が本を自由に読み、学び、楽しめる環境を整える」です。2024年10月にB Corporation(B Corp)の認証を受けました。

 また、ムーブメントを主導するB Lab Globalとのパートナーシップのもと、日本でB Corpムーブメントを推進する組織B Market Builder Japan(BMBJ)が2024年3月から新しいチーム体制となり、その共同代表を務めています。もう1人の共同代表は溝渕由樹さんです。彼女もまたB Corp認証を受けた企業ovgo Bakerの創業者で、同社はヴィーガン仕様のクッキーを製造販売しています。

サミュエルズ:私は、メーカーズマーク(Maker's Mark)の当主を務めています。ケンタッキー州でウイスキー製造に携わるサミュエルズ家の8代目です。祖父母のビル・シニア&マージー,サミュエルズ は1953年に、バーボンのあり方を再考するというビジョンを掲げ、メーカーズマークを創業しました。それ以前の160年間もサミュエル家はウイスキーを造っていましたが、祖父母はその伝統のレシピを燃やし、新たなスタートを切ったのです。当時アメリカン・ウイスキーの多くは少々粗野なテイストでしたが、祖父は洗練されてバランスの取れたプレミアムバーボンを作ろうと決心したのです。

 ケンタッキー州には約90の蒸溜所がありますが、祖父母は人里離れた場所を選びました。州で唯一、自社の水源を所有し管理している蒸溜所です。製造工程で使われる水はすべて、湧き水が流れ込む2つの湖から供給されています。流域全体を所有し、地下水に影響を与える土地はすべて私たちの管理下にあります。

 祖父は、バーボンの原材料の調達先を把握することが大切だと考え、生産者が知人であることを重要視しました。メーカーズマークのバーボンは、トウモロコシ70%、冬小麦16%、大麦麦芽14%で製造しています。そのトウモロコシと小麦はすべて、蒸溜所から30マイル以内にある知人の生産者から仕入れています。

 祖父は理想の味わいの追求に専念し、それ以外の仕事は祖母が担当しました。彼女は夫の“ハンドメイド ”バーボンに敬意を表するメーカーズマークの名前、ボトルの形、ラベルの外観、赤い封蝋などを考案しました。手でボトル1本ずつにラベルを貼り、赤い蝋に浸して栓を封じることでできる個々に異なる赤い紋様の特徴的なパッケージです。 

 彼女はまた、蒸溜所が自分たちの魂を示す場所になることを望みました。そこを訪れるゲストにホスピタリティを感じてもらい、ブランドストーリーを知ってもらう観光ツアーを作りました。こうした功績により、蒸溜所出身者としてケンタッキー・バーボン殿堂入りを果たした初の女性になりました。祖父母は互いに補い合って仕事を続けたのです。

鳥居:美しい物語ですね。そこからどのようなインスピレーションを受けられたのでしょうか。

サミュエルズ:祖先はスコットランドから米国ペンシルベニア州に移住し、100年にわたりウイスキーを製造し、独立戦争後に南に移動して、ケンタッキーが州として成立する前に土地を得て定住しました。家族には長い歴史があるのですが、私にとって最も興味深い点は、祖父母が商業的に成功するという野心を持っていなかったにもかかわらず、業界の方向性を変えた功績が認められたことです。

 伝統のレシピを捨てて新しいスタートを切ったものの、最初の7年間は利益が出せませんでした。しかし、ありがたいことに、ケンタッキー州の人々が当社の製品を愛してくれて、1959年になって利益を生み出せるようになりました。その間アメリカン・ウイスキーの市場は衰退し続けていましたが、ケンタッキー州民のおかげで事業を続けることができたのです。1980年代、大都市の消費者が私たちの手作りバーボンの価値を見出してくれるようになり、成長に転じました。専門誌『フード&ワイン』誌は5年前、メーカーズマークの創業者はバーボンに将来性がないように見えた時に、バーボンを再考することを選んだと報じてくれました。

 こうした歴史を踏まえて私が祖父母を誇りに思うことは、彼らのコミュニティや社員チームへのコミットメント(取り組み)です。この伝統を継いで私が大切にしているのは、苦しい時を含めてどんな時にも地域や社員を大切にするということです。私たちは、あらゆる決断において社員を中心に据えています。そして、地域社会で活発に活動し、コミュニティに多くの寄付を行っています。