タッチパネル研究所社長 三谷雄二(撮影:和田佳久) |
「タッチパネルのことしかやらない。その代わりタッチパネルのことなら、できることはなんでもやる」。タッチパネル研究所は、その名のとおりタッチパネル関連の部品や材料、製品の開発・販売で急成長を遂げている企業である。
タッチパネルはいまや、ATMや携帯電話、ゲーム機など日常の至るところに浸透しているが、同社は「大企業ではできないこと」に注力、成果を上げている。特に、航空機の客席に備え付けられるモニター用のタッチパネルでは、世界シェア1位を誇る。「少量多品種なうえに、ものすごくスペックにうるさい。大手ではやれない」典型的なニッチ分野である。
社長の三谷雄二は、もともと帝人で「透明導電性フィルム」の開発に従事していた。約30年前のことだ。これを使ったタッチパネルの事業化に取り組んだが、パソコンもまだ普及していない時代。市場はなきに等しい状態で思うようにいかず、事業は他のメーカーに移管された。三谷も同時に移籍したが、そこでもやはり採算面でうまくいかず、結局辞職した。
三谷は、自ら会社を立ち上げた。確たるビジョンがあったわけではなかった。「それしかやることがなかったし、タッチパネルのことならなにかできそうな気がした」。
だがその後、タッチパネル市場は急拡大し、会社は見事にその波に乗った。「ラッキーだった」と三谷は振り返るが、運だけでうまくいくはずはない。成長の背景には、他と一線を画するユニークな立ち位置と、それを実現した“先見の明”がある。
技術指導で取引先開拓
ファブレスで無理なく成長
現在、収益面で中心になっているのは、台湾や中国のタッチパネルメーカーへの部品・材料の輸出である。
このビジネスが立ち上がったそもそものきっかけは、三谷が台湾の企業に技術指導を行なったことだ。最初のメーカーは、小さな広告でタッチパネル研究所を見つけ、依頼してきたのだという。そこから口コミで評判が広がった。指導したなかには、いまや台湾で第2位のメーカーになったところもある。それらメーカーとのパイプは、同社の大きな武器だ。
材料や部品といった「“川上”は行き尽くした」結果、今後は“川下”へのビジネス拡大を狙う。タッチパネルを組み込んだモニターや一体型パソコンなどの販売である。「さらにモニターにソフトを組み合わせれば、受付システム、券売機システム、監視カメラシステムなど、いろいろなおもしろいことができる。膨大なマーケットが出てくる」。
この場合も、台湾や中国で部品や製品を生産し、輸入するのが基本だ。輸入した品は、タッチパネル研究所で検査を行ない、場合によってはさらに付加価値をつけて販売する。設計自体は、三谷が行なうこともある。