イノベーションの方法論化は
なぜ必要なのか

西口 今おっしゃった、イノベーションを方法論化していこうという考え方はとても重要だと思います。というのも、日本でこれまで起こったイノベーションの多くは個人の頑張りによって生まれたものだからです。

 イノベーションには大きく「個人が頑張る段階」と「それを組織的な活動へと発展させていく段階」があると思いますが、日本の場合、前者の「個人が死ぬほど頑張ってこんなにすごいことが達成できました」というストーリーが圧倒的で、それを方法論化できていません。

 どんな組織にも、たいてい少数の孤軍奮闘しているイノベーターがいて、そのイノベーターがたまたま器の大きい人物と出会い、「よし、オレが応援してやるから頑張れ」と励まされて成功していく。だいたいが、このパターンですよね。

 これも非常に重要なイノベーションの側面ではありますが、ノウハウが属人的で再現性に乏しいという難点があります。たまたまそういうエネルギッシュなイノベーターや懐の大きな親分がいれば成立しますが、いなければそこで終わってしまう。これだと、仕組みにならないので連続的なイノベーションが起こりにくくなってしまう。

 特に、世界中に模倣者が溢れるなかでは、次々に新しいものを生み出していく力が必要とされますので、組織的な取り組みが必要となるのです。

イノベーションは「個人的頑張り」から「組織的活動へ」<br />そのためのリーダーの役割とは何か?<br />――対談:西口尚宏×紺野登(後編)紺野登(こんの・のぼる) 
多摩大学大学院教授、ならびにKIRO(知識イノベーション研究所)代表。京都工芸繊維大学新世代オフィス研究センター(NEO)特任教授、東京大学i.schoolエグゼクティブ・フェロー。その他大手設計事務所のアドバイザーなどをつとめる。早稲田大学理工学部建築学科卒業。博士(経営情報学)。組織や社会の知識生態学(ナレッジエコロジー)をテーマに、リーダーシップ教育、組織変革、研究所などのワークプレイス・デザイン、都市開発プロジェクトなどの実務にかかわる。

紺野 一般的にアメリカ企業は個人プレーが多くて日本企業は集団プレーであると理解されているかも知れませんが、実際は西口さんが指摘されたように、まったく逆です。日本企業はともすると個人プレーによってなんとか危機を乗り越えている部分が大きくて、集団的な力を発揮する仕組みができていない。

 これに対し、アメリカ企業はもともと個人プレーを賞賛する風土があるため、集団的に協力できる仕組みを作らないとイノベーションが起こらないだろうということで、90年代以降、その仕組みづくりに躍起になってきた。その差が今、表れているという印象を受けます。

西口 その通りだと思いますね。では、なぜ、アメリカ企業がそんなにまでして仕組みづくりに真剣になるかと言えば、そこには時代性もあると思います。今は、個人がどんなに頑張ってイノベーションを起こしたとしても、あっという間に模倣されてしまう。

 こうしたコモディティ化に対抗する手段としては「コモディティ化できないくらい突き抜けたモノを作る」か「新しいモノを生み出し続けるか」のどちらかしかありません。

 前者は個人の才能によるところが大きいかも知れませんが、後者を可能にするのは仕組みです。もちろん、どちらか一方ではなく、2つを同時に追い求める必要があるとは思っていますが。