漢服ブームの発端は諸説あるが、2002年にインターネット上に投稿された「失われた文明 漢族の民族衣装」という文章が嚆矢のひとつだったとみられている。
この文章は、世紀の清朝の統治とともに漢民族の伝統的な服装が失われたと主張し、漢服の実態について詳しく紹介する内容だった。
投稿がおこなわれたプラットフォームは『艦船軍事論壇』というミリタリーマニアのネット掲示板で、投稿者のハンドルネームは「華夏血脈」(中華の血脈)。つまり、漢族中心主義的な思想を持つ人物が、伝統の復興を求めるために記した文章だ。だが、この投稿は当時としては驚異的な30万ヒットを記録し、さまざまなサイトに盛んに転載された。
漢服を着てナショナリズム高揚
クリスマス反対デモも
やがて翌年には『漢網』という漢服愛好者サイトが作られ、ほどなく複数の愛好者サークルが誕生した。さらに同年11月には、河南省鄭州市の電力会社の労働者だった王楽天という男性が自作の漢服を着て街を歩いていたところ、たまたまシンガポールの華字紙『聯合早報』の記者に発見されて写真とともに報じられ、この報道も中国国内外で大きな話題になった。
やがてブームは広がり、2007年には中国の国会に相当する政治協商会議や全国人民代表大会で、漢服を国家の服にせよという提案や、大学での学位授与の際の服装を西洋式のガウンではなく漢服にせよといった提案も飛び出した。これらは採用されなかったが、後者の「学位授与の際の漢服」は、その後も個人や学校単位のレベルではみられるようになった。
漢服ブームはもともと漢族ナショナリズムを起源とするだけに、習近平政権の成立以降に中国国内で愛国主義イデオロギーが強まってからは、物議をかもす事件も起きている。
たとえば2014年12月24日、湖南省長沙市で「中国の伝統的な祭日への回帰」を訴えて、クリスマスに反対するプラカードを掲げた学生が漢服姿で練り歩く事件が起きた。世間が浮かれるクリスマスに反対するデモは、日本であればただのお笑いパフォーマンスで終わる。
ただ、キリスト教やイスラム教などの外来宗教に対して敏感な姿勢を取る中国では、政治的主張として効果を持ちうる行動だった(この事件との直接的な因果関係はないものの、数年後に河北省廊坊市や安徽省泗県などの地方都市で、街のクリスマス飾りを禁じたり学校行事を禁じたりする動きが出ている)。