統合実現で
国内商用車は2陣営に

 ホンダ・日産自動車の経営統合が破談となったことで乗用車メーカーの再編はつまずいたが、商用車で日野自・三菱ふそう統合が実現すれば、日本の商用車メーカー構図は、いすゞ自動車・UDトラックス連合との2陣営に集約されることになる。また、トヨタ・ダイムラーの世界最大規模の連合が誕生し、商用車でのCASE技術競争も激しくなる。

 ここで、日野自と三菱ふそうの統合の動きを振り返っておこう。

 元々、統合機運の契機となったのは、日野自のエンジン認証不正問題だった。22年3月に日野自が公表した一連のエンジン認証不正は、少なくとも03年から続いていたことが判明。主力トラックの出荷停止などに追い込まれ、米国・カナダ・オーストラリアなど海外で集団訴訟も発生した。その結果、業績は悪化し23年3月期まで3期連続の赤字に沈んだ。

 トヨタは、グループの商用車領域を任せていた日野自の対応については、14年間(09年〜23年)トヨタ社長を続けた豊田氏マターの経営課題とした。そして豊田氏が最終的に決断したのが、日野自の単独再建ではなく、ダイムラー傘下の三菱ふそうとの統合だった。

 本来、日野自とトヨタは切っても切り離せない、非常に密接な関係にある。日野自はトヨタグループの商用車事業として国内普通トラックで首位を堅持し、アジア市場でもトヨタと日野自は協業を深めてきたことで信頼関係を築いてきた。

 1966年にトヨタ・日野自は業務提携し、01年にはトヨタが日野自の出資比率を50.1%に引き上げ子会社化した。以来、トヨタから社長も送り込んできた。

 17年に日野自の社長に就任した下義生氏は、日野自の生え抜きからの抜擢(ばってき)だったが、当時の豊田章男トヨタ社長があえて16年にトヨタの常務役員に起用し、トヨタの経営を1年間内部で勉強させてから日野自トップに送り込んでいる。ちなみに、下氏は、商用車事業を熟知しており、トヨタグループにおける日野自ブランドを高めたほか、独フォルクスワーゲングループ傘下の商用車トレイトンとの提携を築くなど意欲的な経営を進めた。

 この下氏の後任として、21年6月には、トヨタでハイブリッド車プリウスのチーフエンジニアなどを務めた技術開発畑の小木曽氏が、トヨタから社長として送り込まれた。