「被害者の競争」は、最後は全員が貧乏くじを引く敗者のゲーム
テクノ・リバタリアンを代表するピーター・ティールの自宅で本書の構想を話したとき、ティールは「キリストは被害者だった」と反論したという。“被害者の文化”に対する正しい対応は、被害者であることの否定ではなく、誰もが被害者だと認識することだというのだ。
ティールによれば、問題は被害者のなかで優位性(かわいそうランキング)をつけることだ。その結果、「白人特権」の名の下に人生の挫折を自己責任にされてしまった者たちが、複数の「被害者アイデンティティ」を交差させ、高いステイタスを与えられている(ように見える)マイノリティに強い憎悪を抱くようになった。
だが、すべてのひとが平等に「被害者」になれば、誰も道徳的な優位性を主張することができなくなるのだから、武器を捨ててお互いを許すしかなくなるというわけだ。
ラマスワミはティールのこの理論を、「相互確証破壊(MAD)」の社会版だという。核で先制攻撃をしても、反撃によって自分も確実に滅ぼされてしまうことがわかっているなら、どれほど不愉快な相手とも協調するしかない。同様に、自分が被害者カードを切っても、相手も同じ被害者カードを切ってくることがわかっているならば、被害者意識から得られるものはなにもなくなる。
しかし、核戦争が一瞬で結果(世界の終わり)が出るのに対して、被害者意識によるステイタス競争はよりゆっくりと狡猾(こうかつ)に進行する。その結果、被害者意識の論理は、ブラックホールの引力のように、わたしたちの社会をゆっくりと確実に破滅へと導いていくとラマスワミはいう。
だったら、どうすればいいのか。それに対するラマスワミの提案はきわめてまっとうなものだ。
まず、グロテスクなまでに拡大した不平等を縮小させなければならない。その方法として(ピケティのような)左派=レフトは富裕税を主張するが、これは資産構成を歪める(美術品やワインのような評価が難しい資産が節税に使われるようになる)として、ラマスワミは否定的だ。それよりも遺産税(相続税)を強化し、それと併せて所得税の累進課税をフラットにして、「働いて所得を得ている者の負担を軽くし、使い切れない富を残して去っていたものから徴収する」べきだという。
再分配によって格差の小さな公正な社会をつくったうえで、はじめて他者の偏見を許すことができるようになる。黒人ミュージシャンのダリル・デイヴィスは、白人の人種差別組織KKK(クー・クラックス・クラン)のメンバーと親交を結び、友情によって、直接的には40人から60人、間接的には200人以上を脱退させるのに成功した。
もちろん、誰もがデイヴィスのような「卓越性」を身につけられるわけではない。ラマスワミ自身も、自分のことを「3段階も肌の色が黒い」と罵った黒人の男といつか食事をともにしたいと思っているものの、まだいちども話ができていないのだから。――その後、黒人の男の妻が叔母のところに謝罪にきたという。相手もばつの悪い思いをしていて、自分では謝罪する気になれなかったから、妻に行かせたのだろう。
「被害者の競争」は、最後は全員が貧乏くじを引く敗者のゲームだ。その罠から抜け出すには、誰かが「許す」ことから始めなくてはならない。ラマスワミは次のように書いている。
聖人になるまでには多くの段階があります。敵と親しくなる必要はありません。完全に許す必要もありません。彼らと話す必要さえありません。まずは、彼らにも価値があるかもしれないと理解することから始めてみましょう。あなたは彼らのことをほんのすこししか見ていないかもしれないし、彼らもあなたのことをほんのすこししか見ていないかもしれないのですから。
●橘玲(たちばな あきら) 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『シンプルで合理的な人生設計』(ダイヤモンド社)など。最新刊は『親子で学ぶ どうしたらお金持ちになれるの?』(筑摩書房)。