初めて日本に来た時、話しかけてくれる人がほとんどいませんでした。地方で、90年代初頭に西洋人が多くなかった頃は、常にじろじろ見られていると感じていました。90年代半ばに中国に行った時も、みんな私の写真を撮りたがって、鼻を触られたりもしました。

 実は最初は、日本食が嫌いでした。日本に一緒に来た友人らはシカゴとニュージャージーの高校時代に寿司を食べたことがあると言っていましたが、私は食べたことがなかった。ラーメンなんて聞いたこともありませんでした。

――日本食のどんなところが嫌いだったのですか?

 私は24歳で、岩手県の山田町という漁村に住み始めました。日本語はほとんど話せず、文字も読めず、スーパーでの買い物も大変でした。「塩を買いたいけど、これは食器用洗剤か?」「これはケーキミックスなのか、それともネズミ駆除剤なのか?」。ラベルを見ても違いが分からず、毎日不安でした。

バラク・クシュナー/ケンブリッジ大学教授バラク・クシュナー/1968年アメリカ生まれ。プリンストン大学で博士号を取得。デイヴィッドソン大学歴史学研究科、アメリカ国務省東アジア課などを経て、ケンブリッジ大学アジア・中東学部日本学科教授。著書に、Yoichi Funabashi and Barak Kushner, eds. Examining Japan's Lost Decades. London: Routledge共著、邦訳:船橋洋一編著『検証 日本の「失われた20年」日本はなぜ停滞から抜け出せなかったのか』(東洋経済新報社、2015年)、『思想戦――大日本帝国のプロパガンダ』(明石書店、2016年)、『ラーメンの歴史学――ホットな国民食からクールな世界食へ』(明石書店、2018年)などがある。

 日本では漢字が読めないと何も分からない。だからレストランに行っても指差し注文するしかなかったんですが、出てくるのはウナギとか貝ばかりで、食べたくなかったんです。最初の半年は本当に最悪な気分で苦労しました。

 パンに関しては大問題を引き起こしてしまいました。私はシンプルな普通のパンが欲しかったんです、ピーナッツバターを塗って食べるような。それで生きていけると思ったのですが、ある日、丸いパンを買って家に帰って食べてみると、中に「あんこ」が入っていたんです。これはおかしい、なんて気持ち悪いパンなんだと驚きました。

 日本語は学んでいましたが、「あんこ」は知りませんでした。スーパーに戻って、店員にとてもゆっくりと日本語で話しかけました。このパンは変ですよ、と何度もね。そうして3日後、私は「あんこ」ではなく「うんこ」と言っていたことに気付きました。町にはそのスーパーしかなく、その後も通い続けたのですが、そういう問題もあって、私は日本食が嫌いでした。

 でも、いつからか日本食を楽しむようになりました。日本食の魅力は、味はもちろん、食感、歯ごたえです。最初はそれを克服するのが大変でした。人間、味覚というのはそう簡単に変えられません。けれど今は、日本食が大好きですよ。

外国人が日本のカレー店で感動した「エキサイティングな体験」【ケンブリッジ大教授が解説】インタビューの様子 Photo:DIAMOND