大学受験を山登りと例えると
山頂で子どもにどんな気持ちになってもらいたいか

渋田 これからがますます楽しみですね。改めて他校との違いはどんなところにあるとお考えですか。

西村 保護者にはよく山登りの比喩でお話ししています。大学受験を山頂とするならば、山頂に着いたときに、お子さんにどんな気持ちになってもらいたいかを考えてほしい。

 山頂まで、最短距離でまっすぐ登るというのももちろん一つの考え方です。ただ、簡単に楽に登れて特に何の感慨もなかったというのと、とても大変だったし無駄なこともいっぱいしたけれど、だからこそすごく充実感があって、途中でいろいろな風景も見られて楽しかった、また別の山にも登りたいと思うのとどちらがいいか。

 一つの山を越え、次の山を登るとき、もう子どもは成人して自分で道を選ぶわけですから、保護者ができるのは、最初の山頂までの登り方――6年間をどう過ごさせてあげるかということしかない。

 大学4年間では人としての基本的な力は変わらないということが研究でも徐々に証明されてきているので、中高時代を左右する中学受験でどこの学校に行くかはとても大切な選択です。

 どう育てたいかというよりも、どんな大人として、どのように社会貢献するのかを考えてもらいながら、人としてベースの力をつけていく――海陽学園はそこに心血を注いでいます。

渋田 海陽学園では子ども扱いしないということも特徴の一つですね。

西村 それはよく言われますね。海陽学園は、学校の先生ではない社会人と教師という両方のスタッフで運営されている。両者はそれぞれアプローチが違って正反対といってもいい。教師はどちらかというと帰納法的な積み上げで、「できるようになるよ」と、ちょっとずつ大人の側に近づけようとする。

 それに対して、教師ではない社会人(寮生活をサポートするハウスマスターやフロアマスターなど)の場合、言わば「ここまで来いよ」「できて当然だよ、できるんだよ」と演繹法的に引き上げようとする。

 私は後者の「ここまで来いよ」の方なので、子ども扱いできないんですよ。もちろん成長段階に応じた適切なサポートは必要ですが、子ども扱いせず接することで、子どもの能力が開花しやすくなる面もあるのではと思います。

「学歴だけで終わる子」と「社会で生き残れる子」の決定的な違い【進学校の校長が教える】渋田隆之先生 撮影/加藤昌人

渋田 西村先生が教育者でありながら、教育関係者だけでなく、企業の方ともよく話をしているのは海陽学園の教育にとって大きいでしょうね。

西村 「教師志望ではない教育者」という少数派のカテゴリーに属しているんでしょうね。こういう学校を運営するには、学校内に閉じた論理でも、企業の論理だけでもだめなんです。

 企業の動きは早い。一方で、学校の動きは遅いですが、変えてはいけないものもある。未来をどう造るかというビジョンの中で両者の論理をバランスさせていく視点がないと、社会とのつながりがなくなり、進学実績だけになってしまう。