何ごとかと部屋に入ってきた彼女が僕の目の前に座り、顔をのぞき込む。目の前にあるはずの彼女の大きな瞳が見えない。混乱と恐怖と絶望がさらにドライブ感を増し、アクセルを思いきり踏み込んだレーシングカーのエンジン音のようにけたたましく、僕は「見えない、見えないよ!」と叫び声をあげ、そして泣いた。
明日の朝、目が見えなくなるとしたら、僕が最後に見たかったものはなんだったのだろう?マンタレイ、カリブーの群れ、マウナケアのサンライズ?あのときに戻って尋ねてみたいが、今僕は思う。最後にはっきりとこの目で見たものが、最愛の娘の寝顔でよかったと。
幸いだったのは
冷静な妻がいてくれたこと
自分が狼狽して取り乱しているときに、冷静な誰かがそばにいてくれることのありがたさを実感したのは、少しあとになってからのことだった。目が見えないと泣き叫ぶ僕を前にして、妻はいたって冷静だった。彼女は僕の手をとり、ゆっくりとソファに座らせてくれた。そして「あぁぁ」とか「わぁぁ」とか、言葉にならない音を発し続ける僕を落ち着かせるように「昨日の眼科がやっているか確認するから、少し待ってて」と、すぐさま電話をかけてくれた。
この原稿を書くにあたり、あのときなぜあんなに冷静だったのかと彼女に聞いてみたところ「私は医療従事者だし、慣れているからね。それに一緒になって取り乱しても仕方がないでしょう」という答えが、いたって冷静に返ってきた。僕は逆立ちはできないが、できるようになったとしても彼女にはかなわないな、と思う。
このとき彼女が僕につられて一緒にパニックを起こしていたら?もしくは彼女が不在で僕ひとりのときだったら?想像すると、背中にムズズと冷たい震えを感じてしまう。
あまりにも落ち着いた妻の様子と、病院に行けるとわかったことで安心した僕は、少しずつ正気を取り戻していった。今まで泣いていたカラスが笑いだすように、窓の外を眺めながら「まるでモネの描いた印象派の絵みたいだな」とか「濃い霧に包まれた映画のワンシーンみたいだな」とか、まるっきりのんきなことを思っていた。実際、妻にも「ねぇ、なかなか美しい景色だよ」などと言っていた気がする。