本来、人間は成長とその反対である退行の葛藤の中で、生きていくべき存在です。しかし、消費社会というのは、我慢や苦労なしで安易に欲求を満たしてしまう社会なのです。

 一時的には成長に伴う苦しい試練に直面せずに生きていける社会ではあるのですが、成長を避けていると、結局人生に行き詰まります。

 ナルシシズムや退行を無理に乗り越えなくても、楽しく生きていける社会であれば、いいのではないか、という考えもあるでしょう。

 しかし、歳を重ねてある年齢に達し、自分の人生を振り返った時に、本当に心から触れ合える人というのは、自分が成長していなくては得られません。そういう人が誰もいなかったことに、人生の終盤で初めて気づくとしたら、これほど寂しいことはありません。

 それにもかかわらず、消費社会は「そういう生き方が一番いいですよ」とすすめているのです。

 人間が成長していく中での課題には、ナルシシズムや退行の克服だけではなく、もう1つ、親からの自立、つまり「オイディプス・コンプレックス」の克服があります。

 これは、フロイトが「人類普遍の課題である」と述べたほどで、当然簡単に解決できるはずのないものです。

 ところが消費社会では、そうした課題に対しても、「ここに行けば解決する」「この本を読めば解決する」という情報が売られています。真の成長が得られない解決法が、「これで解決できる」と言って売られているのです。

信じられるものが消えた今
人は安心できる場所を求めている

 本来、人生の充足というのは、そのように簡単に解決できるものではありません。人生における不可避的な課題が、次から次へとたくさんあって、それらを解決しながら何とか成長することで、その結果、ようやく手に入るものです。

 成長と退行の葛藤の中で生きていくことには、ものすごい負担とリスクが伴うのです。

 一方で、そうした負担とリスクを負わずに生きていくこともできますし、いまの社会はその方法も教えてくれます。ただしその場合、前にも述べたように、人生に必要な成長を遂げていないので、最終的には行き詰まることになります。

 だからいま、誰もが不安に陥っているのです。

 これまでの話をまとめます。