「少々厄介な子どもだった」
ふたりの子ども時代

山田 そう、病気ばっかりで非常に欠席が多かった。「生まれつき病弱だし、おまけに栄養失調。だから勉強なんかしてもしょうがない」と感じていたそうです。端(はな)から勉強には興味がなかった。「いつも成績はビリでした」と言うんですよね。学校に行けても、みんなが一生懸命に帳面を書いてるのに、彼はボーッとしている。

黒柳 休んでいては勉強もついていけないし、お腹が空いていてはね。

山田 はい。そこに先生が来て怒って、殴ろうとする。その瞬間、渥美さんはくっと上を向いて、思いっきり面白い顔をしてみせるんですって。「怒っていた先生が笑っちゃうんだ」と言っていました。だけどそんなふうに危機を脱するから、余計に勉強もできない。

黒柳 そうですね。

山田 徹子さんも、小学校では苦労されたんですよね。

黒柳 そうね、小学校を1年生で退学になりました。

山田 徹子さんの場合、それでトモヱ学園という素晴らしい学校に巡り合うわけだけど、少々厄介な子どもだったという意味では、徹子さんの少女時代と重なるところもあるのかな。

黒柳 そういうところは、たしかにそうですね。でも私、その話を渥美さんにしたことはなかったと思います。

少年時代に対する悔やみ
インテリな家庭で育っていた可能性

山田 うん、渥美さんも貧しかった少年時代のことを、徹子さんにそれほど話さなかった。お互いに話さなかったんですね。渥美さんは徹子さんのような人に出会って、やはり驚きと、憧れを抱いたと思うんですよ。渥美さんの中には、少年時代に対する悔やみというか、苦々しい思いがやはりあったんじゃないか。

 母方が武士の家系で、お母さんもどこか凛(りん)とした雰囲気、プライドのようなものを持っていたと彼が話していたことがあります。そしてそれは子どもの頃の渥美さんにとっても、なんだかとても大事なことなんですね。武士の家系なんだぞ、という。

黒柳 ええ。

山田 お父さんにしたって、失業前は新聞記者だった。渥美さんがとても尊敬していたお兄さんも優秀で、物書きを志していたそうです。もしすこしでも物事の成り行きが違っていたら、渥美さんだってかなりインテリな家庭で育っていたはずですよね。

黒柳 そうですね。お兄さんのことも、時々話していた覚えがあります。