ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】#35

今春、サントリーホールディングスで10年ぶりに創業家出身者がトップに就任する“大政奉還”があった。創業120年超の歴史を誇る日本屈指の同族企業、サントリーの足跡をダイヤモンドの厳選記事を基にひもといていく。連載『ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】』の本稿では、「週刊ダイヤモンド」1983年2月5日号の記事「アサヒとサントリーが外国ビールの国産化で激突」を紹介する。83年、ビール業界3位のアサヒと業界4位のサントリーが相次いで外国産ビールの国産化に踏み切った。「サントリーのバドワイザーvsアサヒのレーベンブロイ」の構図は、“シェア10%”を巡る当時の激しい攻防戦を映し出している。(ダイヤモンド編集部)

ドイツの“レーベンブロイ”を
アサヒが三菱商事から引き継ぐ

 今年(1983年)に入って、ビール業界第3位のアサヒビールと第4位のサントリーが相次いで外国ビールの国産化を発表、この両社のハッスルぶりに麒麟麦酒とサッポロビールの上位2社が目を白黒させている。

 なにせ、アサヒは「シェア10%台死守」、一方のサントリーは「シェア10%奪取」の至上命令により、昨年、アサヒは販売微増を果たしなんとか10%シェアを維持、サントリーは17%増によりシェアが8%へとぐんと上昇、“10%シェア攻防戦”が白熱している両社だ。

「週刊ダイヤモンド」1983年2月5日号「週刊ダイヤモンド」1983年2月5日号

 まず1月11日、アサヒがドイツビールの代表的銘柄“レーベンブロイ”の国産化を発表、それを追い掛けるように、1月19日、サントリーが世界最大規模のビール会社、米国アンハイザーブッシュの“バドワイザー”を国産化するため、佐治敬三社長とオーガスト・A・ブッシュIII世会長との間で契約調印を済ませたのである。