ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】#34

今春、サントリーホールディングスで10年ぶりに創業家出身者がトップに就任する“大政奉還”があった。創業120年超の歴史を誇る日本屈指の同族企業、サントリーの足跡をダイヤモンドの厳選記事を基にひもといていく。連載『ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】』の本稿では、「週刊ダイヤモンド」1982年1月30日号の記事「〈トップ交代〉朝日麦酒は立ち直れるか 最後の切札 住銀の村井副頭取が社長就任」を紹介する。キリンビールとサッポロビールに水をあけられ、後発のサントリーに追い上げられるなど苦境にあったアサヒビールは82年、東洋工業(現マツダ)の再建も手掛けた住友銀行(現三井住友銀行)副頭取の村井勉氏を社長に迎えた。村井氏は後に同じ住銀出身の樋口廣太郎氏と共にスーパードライを大ヒットさせることになる。記事では、当時アサヒが難局にあった背景に加え、住銀の「天皇」こと磯田一郎氏が村井氏を指名した理由、村井氏とサントリーの佐治敬三社長との交友などについて明かしている。(ダイヤモンド編集部)

アサヒ社長に住友銀行の再建請負人
村井氏「“燃える集団”をつくりたい」

 今年(1982年)正月早々、朝日麦酒の次期社長に村井勉・住友銀行副頭取の就任が内定したことで、ビール業界はにわかに騒々しくなった。

 村井氏といえば、苦境のドン底にあった東洋工業へ住友銀行から派遣され、見事に再建を果たし、米フォードとの提携をも成功させた辣腕の人だ。現在、住友銀行副頭取であると同時に、関西経済同友会の代表幹事でもある。

 昨年(1981年)12月31日午後7時、村井氏の自宅へ磯田一郎頭取からの電話がかかってきた。「頼む」の一言で、即決した。

 村井氏は、昨年、関西経済同友会の「日米企業比較セミナー」の団長として米国へ赴き、主要なビッグ企業をつぶさに視察し、目下、「調査報告書」の作成に取り組んでいる真っ最中だ。多忙なのである。「こんなこと(朝日麦酒社長内定)になるんだったらビール会社の一つも見てくるんだった」と悔やむ。

「正月のお客は私の顔を見ると話そっちのけで、もっぱらビールの話なんですよ。朝日ビールを飲んでくれるというのだ。非常にありがたく、心強いと思う。このような“和”を一つ一つ広げていくことがだいじだと思う。住友銀行みたいな“燃える集団”をつくっていきたい。マンパワーを発揮させ、これを集団パワーに持っていきたい。優良企業で共通しているのは、国境を問わず人事だ。人と教育ですよ」と含みのあることを言う。

 正月以来、マスコミ攻勢に遭ったが、世間が朝日麦酒をどう見ているか、いちいちメモを取ったという熱心さだ。

「週刊ダイヤモンド」1982年1月30日号「週刊ダイヤモンド」1982年1月30日号

 また、村井氏が手塩にかけて立ち直らせた東洋工業では、いまでも、土、日、自発的に、研修所で泊まり込みで、部課長会議をやっているそうだ。燃えているわけである。

 ビール業界には麒麟、サッポロ、朝日、サントリーの4社があるが、その中で、朝日麦酒は最もくみしやすいメーカーだと、他の3社にさげすまれている。

 他の3社は多かれ少なかれ、朝日のシェアを食い、事業の拡大ができたのである。だが、甘く見ていた朝日に経営手腕の優れた村井氏が社長として就任する。“エース”登場で、ビール業界は騒々しいのである。

 では、朝日麦酒はいま、どんな状況なのだろうか。

 昨年10月29日朝刊の関西版は「朝日麦酒が旭化成と業務提携」を伝え、関東版に至っては「朝日麦酒が旭化成の系列下へ」という大きな見出しで大々的に報じた。