
今春、サントリーホールディングスで10年ぶりに創業家出身者がトップに就任する“大政奉還”があった。創業120年超の歴史を誇る日本屈指の同族企業、サントリーの足跡をダイヤモンドの厳選記事を基にひもといていく。連載『ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】』の本稿では、「週刊ダイヤモンド」1980年6月21日号の記事「宿願シェア10%達成の“切り札” サントリーが利根川新工場に多額の投資」を紹介する。サントリーは80年に長年の宿願であるビールシェア10%の「切り札」として、三つ目のビール生産拠点である利根川工場の建設を始めた。記事では当時の首都圏のシェアや投資額を紹介しながら、サントリーの覚悟について解説している。(ダイヤモンド編集部)
サントリー、「シェア10%」の悲願
首都圏や京阪神などでは3位に浮上
サントリーは、ビールのシェア「10%突破」を長年の宿願としてきた。それが、このほどビール部門の3番目の工場、利根川ブルワリー(群馬県邑楽郡)建設に着工、ようやく宿願達成に手が届く段階になった。
なにしろ、今までは、東京・武蔵野(1963年竣工。年間生産能力22万キロリットル)、京都・桂(69年竣工。同19万キロリットル)の2工場体制で、生産能力の合計は41万キロリットル。
ところが、79年の全社ビール蔵出し量は448万キロリットルであるから、能力面で見てもシェア10%は、現実味のないものであった。実際は、同社の79年蔵出し量は30万5000キロリットルで、シェア6.8%だった。
この段階で、能力と実績との開きは約10万キロリットルあるが、サントリーは過去5年間で9万キロリットルを伸ばし、全ビールの純増分に占めるシェアは16%に達している。この結果、首都圏や京阪神など14都道府県で第3位に食い込んできた。
▲サントリー利根川新工場の完成予想図
そのサントリーにとって利根川新工場は宿願達成のための“切り札”となるだけに、起工式には佐治敬三社長以下ほぼ全役員が出席、地元を含めマスコミ関係者50人、招待客250人という力の入れようだった。







