当時の大学生は厭戦気分を抱く人が少なくなかったみたいですね。
アメリカのアイビーリーグの学生は勇んで戦争に行きました。イギリスなどでもノブレス・オブリージュで、上流階級のエリートは国への奉仕として積極的に参戦しました。日本の知的エリートにはそれがなかった。おそらく一定程度の知的レベルの人から見ると、何の大義もない戦争にしか見えなかったのでしょう。これも太平洋戦争がいかに無謀な戦争だったかということの一つの表れなのかもしれません。
これまで伺ったお話で、我々の太平洋戦争への認識がいかに根拠に乏しいものなのかを思い知りました。我々自身の知的怠慢もさることながら、メディアや歴史教育による恣意的な切り取りの弊害もあるかもしれません。
たとえば戦争の悲劇を象徴するシーンとして、学徒出陣のフィルムがよく使われますが、実際には同年齢の非エリートは以前から出征していたわけで、大学生だけが召集を猶予され保護されていたのです。学徒出陣はたしかに悲劇かもしれませんが、そこだけを切り取って誇張してしまうと、戦争の全体像が見えてきません。
戦争にはさまざまの側面があります。その一部だけを誇張し全体像を見失うと、次世代は真の教訓を学べません。過去を正しく理解することが、歴史教育の原点だと思います。
そうしたことを踏まえ、あらためて太平洋戦争から我々は何を学ぶべきでしょうか。
一つは、制度設計とその弾力的運用の必要性です。
統合意思決定機関が欠如していたために、開戦時も終戦時も政治的叡智と軍事的合理性をすり合わせることができませんでした。しかも統帥権を杓子定規に扱った結果、陸海軍が別々に独走し、政治がそれを止められなかった。
統帥権の独立のような制度を一度つくってしまうと、時代が下って制度制定の目的と経緯を知らない世代になった時、本来の目的とは違う使われ方がだんだんなされるようになります。制度制定時とは異なる状況の下で、それを本来の目的に照らしていかに柔軟に運用するか、危機対応の際に組織をどう一体化させるか、これは現代にも通じる難しい問題です。
ビジネスの世界も同じですね。
第2に、状況に臨機応変に計画を変更することの重要性です。日本軍の戦略は常に自分たちの発想、考え方、思惑だけで戦略を立て、「こうなれば勝てる」という独りよがりの楽観的シナリオに依存していました。これが最大の誤りの一つです。
前述したように、戦争には相手がいます。ですから、自分たちの発想、思惑や利害だけで将来を構想していては危険です。状況は変化することを前提に、複数のシナリオを柔軟に検討する必要があります。
シナリオプランニングですね。東條にはそういう能力はなかった、と。
東條の実態は前述の通り、調整型の官僚であり、大局観を備えた政治的リーダーではありませんでした。リーダー不在の体制が続き、合意形成ばかりに時間を費やし、ついには誰も最終責任を負わなかったのです。この「責任回避型リーダーシップ」が、泥沼化を招いた大きな要因の一つでした。現代の組織でも、合議制が形式化すれば同様のリスクがあります。必要なのは、合意形成と同時に最終的な責任を負うリーダーの存在です。
いかにして戦争を止めるかを考えないまま始めてしまったことは、現代の政策立案や事業計画でも重要な教訓です。始める前に終わり方を考える、つまり出口戦略を明確にしておくことの重要性は、戦争だけでなくあらゆる取り組みに当てはまることです。
そして条件が整わなければ「できない」と言える組織文化、潔く撤退できる組織文化を育てること。日本の戦争指導では、できないことをできると言い続けた結果、破局を招きました。
いろいろと挙げましたが、しょせんは後知恵です。ただ、その当時の指導者たちの判断ミス、戦略や分析の間違いを検証し、正していくのが私たち歴史研究者の役割です。この戦後80年という節目にあらためて太平洋戦争を振り返ることで、現代にふさわしい組織やリーダーシップの姿を考える縁にしていただければ、研究者冥利に尽きるというものです。
◉聞き手|岩崎卓也(本誌論説委員) ◉構成・まとめ|奥田由意、岩崎卓也
◉撮影|朝倉祐三子







