自由度を武器にした
小さな研究所の存在意義

 ソニーCSLは、創設から30年以上経ったいまも独自の存在感を放っていますが、中心となる研究員は、東京・京都・パリ・ローマの4拠点すべてを合わせても30人程度と、少数精鋭が特徴です。あえて「小さな組織」を保っているのはなぜでしょうか。

 プロジェクトや事業、組織が成長していくプロセスには、「0→1:発想と着手」「1→10:実証展開」「10→100:スケーリング」の大きく3段階があると私は考えますが、我々ソニーCSLが担っているのは、最初の「0→1」(ゼロイチ)部分と、「1→10」(イチジュウ)の初期部分です。その人にしか見えない未来に向けて突き進む個人の強い思いと、最大限の自由度が必要なフェーズであり、ソニーCSLが提供できる環境はここに当たります。

 私の経験上、組織が拡大し、それに比例して予算規模も大きくなると、どうしてもお金を使って課題解決しようとする傾向が生まれがちです。外注を増やしたり、余計な人間を採用したりと、お金は使うけれども、自分の頭を使わなくなっていくのです。だから、予算も人も「ちょっと足りないぐらい」がちょうどいいと思っています。

 たとえば、自社に最低限のリソースしかない中でプロジェクトをさらに拡大するためには、どうしても外部のステークホルダーの参加が必要になりますよね。プロジェクトの趣旨や展望に共感、賛同してくれる人を巻き込んでいくために、種を蒔いた人がみずからフルパワーを投入し、拡散させていく。実は、余計なものが削ぎ落とされていて熱量が高いこのゼロイチ段階が、規模は小さくても一番パフォーマンスがよいのかもしれません。

 そのうえで、我々がやるべきゼロイチとは何か。それは社会的・科学的側面で価値があり、まだ誰もやっていない挑戦を最初にやることです。社会や世界に向けて大きな価値があり、アプローチに論理的・理論的妥当性があるのになぜかまだ誰も手をつけていない研究に挑む。それが私たちの存在意義です。むしろそれは無理だろうと思われるくらいのチャレンジングなテーマのほうがいいし、不可能と思われていたことを可能にしたい。これを繰り返していくのだと思います。

 私がソニーCSLの社長に就任してすぐに、「Act Beyond Borders ~越境し行動する研究所」というスローガンを掲げました。ここで一番大事なのは、act(行動)です。もちろん、行動すれば、失敗することもあります。しかしながら、行動しなければ世界を変えることはできません。我々の研究は、人類の未来のためにある。ならば、みずから行動し、変革をトリガーすべきであるという考えです。

 さらに2022年、創設以来掲げてきた「人類の未来のための研究」というミッションステートメントを、「人類とこの惑星の未来のための研究」へと改訂しました。「この惑星」という言葉を加えたのは、惑星規模のスケールで、まだ誰もやっていないことを最初に挑むラボでありたいからです。

 また、行動する際に必要となるマインドセットとして、「Global Influence Projection」(世界規模で影響力を投射させる)というフレーズも打ち出しました。我々のような小さな組織が世界規模の課題に貢献するなら、多くの人を巻き込む魅力的なミッションを掲げて行動し、世界規模で影響力を投射することが重要です。予算ではなく、影響力を最大化する必要があります。

 さらに、それを実現させるための組織として、「Dispersive Organization」(拡散する組織)というスタイルを取っています。これには2つの意味があります。一つは、「光学的拡散」のアナロジーで、白い光がプリズムを通ると多くの色が見えるように、ある課題を多様な角度から見ることでそこに内在する本質を見出すことです。そのためには、多様な見方ができる多様な人材と外部パートナーが必要になります。そしてもう一つは、「化学的拡散」です。いろいろな素材に液体が染み込んでいくように、世界中の異なる分野や組織に我々のプロジェクトや理念が浸透していくことを指します。この2つが、ソニーCSLの研究やプロジェクトを成功に至らせる「dispersion」(拡散)のイメージです。

 ただし、拡散するだけではバラバラになってしまうので、思いっ切り広がったその先に共通するアイデアやノウハウを、社内に「conversion」(収束)させることも重要です。これはミッションの求心力が重要であり、新たに強力なミッションが生み出されれば、新しい収束ポイントが出現するかもしれません。

 こうした拡散と収束は一見すると矛盾しているようですが、拡散と収束のダイナミクスがソニーCSLの組織原理ともいえます。R&D組織というのはリーダーの世界観や人生観が如実に反映される組織であり、その意味では、ソニーCSLは私の世界観の一部が反映された組織だと思います。

 ちなみに親会社であるソニーグループとは、どのようなシナジー関係にあるのでしょう。

 ソニーCSLのような小さな組織がその理念を実現するには、外部連携で我々の研究やプロジェクトを浸透、拡散させていくことが重要です。ゆえに研究員たちには、「ソニーグループの事業領域にはこだわらず、世界の未来に向いた研究が大切だ」と伝えています。研究領域を絞るようなこともしません。どこにチャンスがあるかわからないからです。

 そもそもソニーグループはテクノロジーに対する関心や理解が深い会社であり、ソニーCSLは誰もやっていない研究を手掛け、外に向けて発信していくことを期待されています。これこそが、越境し行動する研究所の本質です。その意味でソニーCSLは、「自由度」が最大限に与えられた世界的にも稀有な研究所だといえるかもしれません。我々の最大の武器は自由度であり、そこから大胆なアイデアやプロジェクトが生まれるのです。