
「昭和の女帝」辻トシ子の権力の源泉は、大蔵省(現財務省)をはじめとした中央省庁を影響下に置いていたことだった。50年以上にわたって、課長級以上の職員を集めた昼食会などを省庁別に開いたり、子供の就職をあっせんしたりして、出世街道を歩むエリート官僚らを手なずけた。子飼いの官僚たちは、彼女の元に持ち込まれた陳情を処理するのに役立つだけでなく、退官後も銀行やトヨタ自動車などに天下りし、財界を動かすための手駒となった。『昭和の女帝 小説・フィクサーたちの群像』のモデルである女性の謎に迫る、特集『小説「昭和の女帝」のリアル版 辻トシ子の真実』の#11では、辻トシ子の官僚コントロール術を明らかにする。(ダイヤモンド編集部副編集長 千本木啓文)
小遣い、子供の就職あっせん、ゴルフ旅行招待…
エリート官僚は、気が付けば「辻応援団」に
副総理や自民党幹事長を務めた益谷秀次の公設秘書になってから10年目の1961年、辻トシ子は独立する。三十六会というコンサルティング会社を設立し、代表に納まったのだ。三十六会は、「さとろうかい」と読み、昭和36年に設立されたことと、「悟ろう」という意味を引っかけている。
宮澤喜一(右から2番目)が受け付けを務めた三十六会の事務所開き(1961年9月8日、東京・赤坂の日本自転車会館で撮影)
個人事務所設立の経緯について、辻トシ子は面白おかしく、以下のように語っている。
「宮澤(喜一)先生がまだ生きているときに『事務所を持ちなさい』と(言われました)。『秘書というのは辞めた日からみじめだよ。それで食べていけるということはないから絶対に事務所を持て』と。その2、3日前に宮澤さんの前で、益谷先生と(私が)大喧嘩したんです。それで、私が初めて泣いたんですね。そしたら宮澤さんが『あなたの泣き顔を見るのはとても面白い』と。『本当に見たことないから愉快だ』って言われて、で、その後に『真面目な話、事務所を持ちなさい』と。それで、できたばかりのビルだったので、通産省関係の人にお願いして(日本)自転車会館に入れていただいて今50年目なんです」(辻事務所開設50年を祝う会で)
しかし、本人が語った独立の経緯は、表向きのものだろう。
三十六会設立の本当の理由とは、辻トシ子が政界、財界、官界の潤滑油として、益谷の秘書の時代よりも一層大きな役割を果たすためだった。
とりわけ独立後の彼女に期待を寄せていたのが、保守本流といわれた派閥、宏池会である。当時は派閥政治、金権政治の時代。自民党総裁選では数億円ともいわれるカネが乱れ飛んだ。カネがなければ宏池会が政権を取ることは難しかった。だが、宏池会の幹部である池田勇人や大平正芳、宮澤らが直接、企業や米国政府からカネを受け取ってしまえば政治生命を失いかねない。辻トシ子は、グレーなカネを受け取り、宏池会関係筋に流す「濾過機」としての機能を果たしていたと考えられるのだ(詳細は、本特集の#14『政治史の研究者が“昭和の女帝”の裏の役割を喝破!「辻トシ子は政治家が直接扱えないカネの濾過機だった」青学・小宮京教授寄稿』〈2月6日(金)配信予定〉参照)。
では、“潤滑油”や“濾過機”としての役割を果たすために、辻トシ子は何をやっていたのか。「政界最大の黒幕」の娘というだけで、そのような機能を発揮することはできない。
彼女が社会を動かすために最も注力したのが、大蔵省(現財務省)、通商産業省(現経済産業省)をはじめとした中央省庁を手なずけることだった。次ページでは、辻トシ子による中央省庁のコントロール術と合わせて、彼女と特に関わりが深かった多数のエリート官僚の実名も明らかにする。
昭和の女帝
小説・フィクサーたちの群像
千本木啓文著
<内容紹介>
自民党の“裏面史”を初めて明かす!歴代政権の裏で絶大な影響力を誇った女性フィクサー。ホステスから政治家秘書に転じ、米CIAと通じて財務省や経産省を操った。日本自由党(自民党の前身)の結党資金を提供した「政界の黒幕」の娘を名乗ったが、その出自には秘密があった。政敵・庶民宰相との壮絶な権力闘争の行方は?













