大蔵省の局長らをゴルフ旅行に招待
出世頭の課長以上の幹部職員を40年以上“お世話”
三十六会をよく訪れ、官僚や財界人たちと酒を飲みながら交流していた元衆議院議長の綿貫民輔は、辻トシ子に関するあるエピソードを明かしてくれた。
綿貫が2000年に衆議院議長に就任する前後のことだ。「石川県の小松空港で、大蔵省の局長級がずらーっと飛行機に乗るんで、『何だいこれは』と聞いたら、(局長らが)『辻さんのご招待で1泊してゴルフに行くんだ』という。これはすごいばあさんだなと思った。飛行機が堕ちたら(大蔵省の幹部職員が)全員潰れるじゃないかと僕は冷やかしてた」。
他に、こんな目撃談もある。民主党政権下で、「最後の大物財務官僚」「影の総理」などと称された勝栄二郎が2010年7月、財務事務次官に就いた際、前任の丹呉泰健と、財務省の局長らを引き連れて三十六会を訪れ、辻トシ子にあいさつに来ていたという。
それを目撃した政界関係者は、「永田町、霞が関の常識からすれば、財務省の局長以上の幹部がそろってあいさつに行く相手は“総理経験者”ぐらいであり、非常に驚いた」と筆者に語った。
辻トシ子といえば、宏池会の陰の権力者として知られるが、民主党による政権交代後も、一定の影響力を保っていたのである。
ちなみに、勝の次官就任から1年後に、総理大臣の椅子に座る野田佳彦も三十六会のパーティーでスピーチするなど辻トシ子に近い政治家だった。財務相だった東日本大震災の直後には、当時、内閣官房副長官だった藤井裕久と一緒に、助言をもらいに三十六会を訪れていたという。
さらに話が脇にそれるが、震災直後の混乱の中、辻トシ子は野田と藤井に「まず天皇陛下のお言葉を聞いてきなさい」と指示。その後、首相官邸の記者会見の様子を見て、「緊急事態だからといって、記者会見で作業服みたいなものを着るのはやめなさい。世界が見ているのだから」とアドバイスした。この発言の翌日から、官房長官らによる官邸での会見は、スーツに戻ったという。
話を、辻トシ子の霞が関への影響力に戻す。前出の綿貫は次のように語った。「何か頼み事をすると、必ず相談に乗ってくれました。特に役所に顔が利いたね。(大蔵省も)通産省も、課長から局長に至るまで、みんな辻さんには頭が上がらない。あれ(辻トシ子)は役人をうまく使っとったね。だからちょっとした陳情も、電話一本で『何々局長。こういうことがあるんだけどちょっと考えてみて』なんて言うと、『分かりました』っていうことだった」。
実際、辻トシ子に依頼すると、補助金の受給が瞬く間に決まったという経営者の話を聞くことができた。
辻トシ子が顧問を務めていた湘南技術センターの会長の原田宏一は、社長だった2010年代に、ある工場における製品の検品を効率化するシステムの開発の資金調達について彼女に相談した。すると、その場で通産省に電話をかけ、当日の午後5時に事務次官とのアポを取ってくれた。原田は「事務次官室でプロジェクトの意義を説明すると、何日かして助成金が下りた。辻先生の力はすごいなと、そのときに初めて分かった」と振り返る。
辻トシ子の昼食会、新年会に呼ばれなくなると
役所での出世の芽がなくなるという恐怖…
三十六会が入居する日本自転車会館地下の割烹たいへいなどでは、主要官庁ごとの課長級以上が辻トシ子を囲む昼食会が毎週のように開かれていた。
大蔵官僚の集まりは「大くら会」、経産官僚のそれは「おこぜの会」と称されていた。出世街道を歩む官僚は、好むと好まざるとにかかわらず、出席するのが当たり前だった。
官僚が、「大くら会」や「おこぜの会」に出席するには、主流派の先輩や同僚からの紹介が必要だった。
元財務官の大場智満は筆者に「(私が国際金融局の課長だった1976年に)私と同期の酒井健三(1953年入省、後の国際金融局長)に辻さんのところへ連れていかれて紹介された。それから45年間の付き合いです」と語った。
中央省庁の中でも、「最強官庁」といわれる大蔵省は別格の扱いだった。「大くら会」の食事会は特別に、辻トシ子の私邸で開催されることもあった。会自体は和やかな雰囲気で、生々しい話はしない。新年会などの酒が出る席では、辻トシ子や官僚が歌を披露した。
1980年1月25日に開かれた「大くら会」の記録。大蔵省のドンと称された長岡実とみられる名前がある。翌日26日には、本稿に登場する酒井健三や大場智満とみられる名前も記載されている 拡大画像表示
一方で、彼女から一度でも失格の烙印を押されてしまうと、次の会からお呼びが掛からなくなり、主流派から外されたというから、官僚たちも裃を脱いで、というわけにはいかなかった。辻トシ子は特に男女関係にうるさく、女性とトラブルを起こした官僚は、容赦なく排除したという。
前出の藤井が、辻トシ子の役所の人事への影響力について語った。
「現実はね。(影響力を)持っていたと思います。例えば『あの人駄目ね』っていうようなことを一言いうんですよ。(そう言われてしまうと、出世の芽がなくなる)そういう影響力を持つ人になってしまっていたんですね」
昼食会などがお開きになると、官僚らは、土産の袋を持たされる。段ボール箱が一つ入りそうな袋の中には、御菓子司岡埜栄泉の大福、どらやき、ワッフル、梅干し、らっきょうなどの一級品。さらには、米国産のグレープフルーツなどが入っており、ずしりと重い。
土産の大きな袋を持って役所に帰る官僚の中には、複雑な思いを抱く者もいたようだ。三十六会と霞が関の官庁街の中間にある地下鉄虎ノ門駅に、土産の袋が丸ごと捨てられていたこともあったという。
そうはいっても、総じてみれば、辻トシ子と中央省庁との関係は良好だった。
大場は、辻トシ子について、「要するに各省のお偉方と全部付き合って、顔が利くわけです。みんな昼飯一緒に食べてるわけだからね。日本の行政は縦割りでしょ。それを横につなげるという非常にユニークな仕事をしていた」と語った。
確かに、辻トシ子は、持ち込まれた難題を、省庁を超えた人脈を駆使して解決していた。その点については、本特集の#12『大平内閣誕生に向けた「昭和の女帝」辻トシ子による秘密工作を解明!日米オレンジ問題で福田派の“利権”を切り崩し、宏池会に利益誘導する剛腕』〈1月23日(金)配信予定〉で詳述する。
辻トシ子とつながることは、官僚にとってもメリットがあった。出世の他にも、子供の就職の世話などで便宜を図ってもらえたからだ。大場は、「僕は、逆に、(辻トシ子から)陳情されていたほうだ」と断りつつ、「頼りになる人だった。子供の就職の相談をする人(官僚)もいたんじゃないの。そういう頼み事をされたら、やれる限りは一生懸命やる人だからね、辻さんは」と話した。
子供の就職で世話になることは、辻トシ子への大きな借りとなる。彼女から、小遣いをもらう官僚もいた。そのような持ちつ持たれつの関係になっても、官僚らが彼女との関係を続けたのは、「辻トシ子ならば、自分のキャリアに傷がつくような無理な依頼はしてこない」という安心感があったということも事実だろう。
なお、辻トシ子が、大蔵省を支配できた要因として、宏池会の政治力をバックにしていることも見逃せない。宏池会の創設者である池田(1925年入省、大蔵次官)をはじめとして、それ以降、同会幹部を務める政治家たちは、ほとんどが大蔵省出身なのだ。例えば、前尾繁三郎(29年入省、造幣局長)、黒金泰美(35年入省、池田蔵相秘書官)、大平(36年入省、池田蔵相秘書官)、宮澤喜一(42年入省、池田蔵相秘書官)といった面々だ。
各省の予算を握る大蔵省、特に主計局の情報収集能力は極めて高い。大蔵省は、辻トシ子が霞が関を牛耳るための、目となり耳となったのである。
なお、記録として、辻トシ子にとりわけ可愛がられた官僚を列挙しておく。
大蔵省、財務省では、松下康雄(50年入省、大蔵次官、日本銀行総裁)、山口光秀(51年入省、大蔵次官、東京証券取引所理事長)、吉野良彦(53年入省、大蔵次官、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)総裁)、大場(53年入省、財務官)、吉田正輝(54年入省、銀行局長、兵庫銀行社長)、岸田俊輔(55年入省、証券局長、広島銀行会長)、平澤貞昭(55年入省、大蔵次官、国民金融公庫総裁、横浜銀行頭取)、丹呉(1974年入省、財務次官)など。
通産省、経産省の会の中心メンバーには、平松守彦(49年商工省〈後の通産省〉入省、国土庁長官官房審議官、大分県知事)、中川勝弘(65年入省、通産審議官、トヨタ自動車副会長)、伊佐山建志(67年入省、特許庁長官、日産自動車副会長)、嶋田隆(82年入省、東京電力取締役執行役、経産次官、岸田文雄首相の首席秘書官)などがいる。
「おこぜの会」の筆頭メンバーである平松が1991年、辻トシ子が代表を務めるコンサルティング会社、三十六会の30周年パーティーで披露したスピーチには、彼の忠誠心と、宮澤への対抗心がよく表れている。
「(このパーティーの出席者は)皆、我こそは一番の子分と思っているかもしれないが、私は子分中の子分であります。辻さんは私利私欲がない。女性だから、お父さん(辻嘉六)に似て国士ではなくて、『国女』ではないかと思います。もし辻さんに議席があれば、この席は宮澤(喜一)先生と対決の場となっていたでしょう。議席があれば、サッチャー首相のごとくで、宮澤先生の大強敵であったろうと思うわけです」
このスピーチは出席者の記憶に残ったようだ。パーティーの会場にいた宮澤は10年後の三十六会40周年パーティーでのあいさつで、平松の「私は子分中の子分であります」というセリフを引用したほどだった。
大蔵省や通産省の官僚らは、銀行や大手自動車メーカーなどに天下りしたり、電力会社に出向したりして、辻トシ子が財界を動かすための駒となった。彼女の大企業への影響力については、本特集の#13『「昭和の女帝」と米情報機関の元工作員によるトヨタ車の輸出戦略、日米貿易摩擦をカネに変える500億円プロジェクトの全貌』〈1月31日(土)配信予定〉と、#15『「昭和の女帝」の鶴の一声で、住銀のJTへの融資が復活!オイルメジャー・JA全農・電力会社をも操る“神通力”の正体』〈2月14日(土)配信予定〉で詳述する。
辻トシ子は、通産、大蔵の両省の他、公共工事などの巨額利権を握る運輸省(現国土交通省)にも大きな影響力を持っていた。他方で、介入できる予算が限られる外務省との関係は比較的、希薄だったという。(敬称略)
Key Visual by Noriyo Shinoda













