僕たちは、意味のある〈もの〉をつくれているのだろうか? ――いつの間にかかつての輝きを失ってしまった〈ものづくり〉という言葉。ところが現在、問題解決型ものづくりである「ソーシャル・ファブリケーション」という潮流が生まれ、〈ものづくり〉が本来持っている「人と人とをつなぐ」という力が再び注目されている。
第2回となる今回は、僕が「シード・コンテスト」というプロダクトデザイン&ビジネスコンテストに参加し、実際に東ティモールを訪れることで経験し、学んだことを通して、現地で技術を適切に使ってもらい、定着させるために大切なことを伝えたい。
なぜ、日本の「技術力」は途上国で活躍できないのか?
あるイベントで、こんな質問を受けたことがある。
「その村の家庭には、トイレがないそうですね。それなのになぜ、みんな携帯電話を持ってるんですか?」
ガスコンロや冷蔵庫・洗濯機はおろか、トイレすらない発展途上国の人々でも、携帯電話を使っている。世界を旅し、取材し続けているうちに、いつの間にかそれが当たり前になってしまい、一瞬、答えに詰まってしまった。
料理なら薪を燃やせばいい。保存のきくものか、その日採れた食材を使うならば、冷蔵庫はいらない。洗濯物は手と石で洗えばいい。トイレはそのあたりですませることができる。でも、隣町で一人暮らしをしている息子の様子を聞くには、電話が必要だ。
途上国の携帯電話は安い。東ティモールの田舎でも、15ドルで購入できる。ITU(国際電気通信連合)によると、2011年の全世界における携帯電話普及率(契約数/人口)は、85.7%にも上るそうだ。
携帯電話が買えたら、次はバイクが欲しくなる。1台あれば、家族で移動できる(僕が見た最高記録は6人乗りだった)し、物もたやすく運べるようになるからだ。
ポイントは「テクノロジーが発展途上国の生活に与えるインパクトは、日本のそれと比べてはるかに大きいが、テクノロジーを受け入れる感覚には大きな違いがある」ということである。
このすれ違いをそのままにしておくと、せっかく日本の技術力を駆使して作った、太陽電池が、新型カマドが、水道が、埃を被ったまま放置されることになる。たんにものを〈作る〉のではなく、きちんと〈届け〉、現地の文化として〈定着〉させる事が必要だ。僕は、あるコンテストへの参加をきっかけに、こうしたことが意識できるようになった。