ただ一緒にいる時間がクオリティ・タイム

 私たちは、多くの死にゆく人たちと関わったYさんから話を聞いていた他、自分たち自身がこれまで体験したことを通じて、死に臨んでいる人に接するために重要なことは、「今、ここに共にあること」(“being”)であると学んでいました。孤独や不安に陥る本人の支えとなるのは、関わる側が恐れなく、その人の存在と共にあるという態度なのです。

 以前に知り合いの依頼で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の末期の男性の精神的サポートをさせていただいたことがありますが、その方は奥さん、娘さんとは事情があって離れて暮らしていて、妹さんと医療チームが家で面倒を見ていました。私たちは具体的なケアをする必要がなかったので、ただしていたことは、その人の話を聞いたり、抱きしめたりして、そばにいることでした。

 でも、そんなシンプルなことが本人にとっては助けになるのだということを改めて感じる経験でもありました。周囲が忙しく立ち働いていると、本人の心が置き去りになることがありますし、「今、ここにただ共にいる」というのは、残された時間の中で、生きている感覚を共有することが、とても大切になってくるからです。

 今回のYさんの場合も、少しでもご本人やご家族に役立つことをと思い、あれこれ「すること」(“doing”)に意識が行きがちな時、それよりもただ一緒にいて、本人の話の相手をしたり、マッサージをしたり、ただ体に触れていればいい時もあると気づかされることもありました。

 後にその時の経験について振り返った際も、そうしたただ一緒にいる時間というものが、「クオリティ・タイム(密度の濃い時間)」として、とくに心に残っています。