「ウェブ社会」から「ファブ社会」へ
インターネットに匹敵する変化を生み出すための想像力
これまで3回に渡ってファブの運動について解説してきたが、ファブラボの活動の射程はそれほどまでに広く、3Dプリンタは「一部」でしかないことが伝わっただろうか。いま、「3Dプリンタ」という非常にわかりやすい「もの」があるために、それが偶像(アイコン)となり、まるで魔法の箱であるかのように、社会に流通してしまっている。
しかし21世紀の創造的な暮らしにおいて最も大切なのは、結局、道具や機械ではなく、それを使いこなして意味あるプロジェクトを興す「ひと」である。そして、価値が宿るのは、そのひとの周りに発生する「こと」に対してなのである(もちろん、「もの」をつくることによって、「こと」の意味は強化される。だから3Dプリンタを否定しているわけではない)。
最近私は、インターネット元年と呼ばれた1995年当時のことをよく考えるようになった。わかりやすい「もの」がある「3Dプリンタ」と比べて、「インターネット」は見えなかった。不可視であった。しかし、その当時のインターネットの「夢」を支えていたのは、物理的にその実態は見えないけれども、離れた場所どうしがつながり、誰もが情報の発信者になりえ、家庭と世界がつながる――そういった地球的な想像力がもたらす高揚感であった。
いま、この「ファブラボ」の運動を理解するのに求められているのは、それと同種の想像力である。繰り返すが、3Dプリンタは、端末のひとつでしかない。その裏には、ネットワークがある。かつて、サーバを立ち上げてルータをつないでいた人々がいるのと同じように、いま、工房(ファブラボ)を立ち上げてデジタル工作機械をつないでいる若い人々が世界中に生まれているのである。
私がこのところよく使うキャッチフレーズ、「ウェブ社会からファブ社会へ」。この言葉に込めているのは、ウェブが重要でなくなるという意味ではない。むしろ、ウェブがもたらした広がりのある地球的な想像力を、そのまま「もの」の(フィジカルな)世界にまで拡張・展開してみよう、という誘いである。それによって情報化社会はリアルなものに補完される。より「手触り」と実感のある情報化社会が実現され、つくることの喜びが生を支えるようになるはずだ。
かつて、インターネットは通信業者だけではなく、一人ひとりの生活そのものを変えた。同じように、ファブも、製造業だけでなく、一人ひとりの生活そのものを必ず変えていくだろう。ファブラボはそうした新時代の可能性に一早く気づき、取り組んできたコミュニティである。そして、いつでもあなた自身の参加を待っているのである。近い将来、2013年は「元年」と呼ばれることになるはずだ。
(了)