「強迫観念にとらわれたかのようにメールの返信を急ぐ人」、「Twitterで他人のツイートをパクる人」、「ランチを一緒に食べる友達がいないと思われるのがイヤで、トイレでご飯を食べる人」、「せっかく一流企業に入ったのに辞めて、所得を減らしてでも自分らしい職場を探す人」……。

オジサンには一見不可解な現代の若者に特徴的なこれらの行動。こうした行動を駆り立てる原因を探っていくと、彼らの「認められたい」という思いに行きつくことが少なくない。現代において若者を悩ませる最大の問題は、経済的不安ではない。「認められない」という不安なのだ。

一方で、若者でない世代も含めて、日本に蔓延する閉塞感の正体を探る意味でも「承認」、さらに「承認格差」は、大きなキーワードだと考える。この連載では、経済的な格差に苦しむよりも深刻かもしれない、「“認められない”という名の格差」を考えていこうと思う。

 さて、Twitterで記事をつぶやいていただいたり、筆者の個人アカウントに意見をいただくなど、大変大きな反響をいただいた前回から早1ヵ月。前回はお盆に重なったためお休みとなり、とてもお待たせしてしまいましたが、ようやく第2回の更新です。今後は2週間に1度更新していきますので、ぜひ更新のたびにご一読ください。

結婚していないと不幸になる?
独身者が抱える「2つの承認不安」

 経済的な格差よりも深刻かもしれない、「承認格差」、「認めてもらえない不幸」とは何か。

前回、「承認」には3つの種類があることを紹介した。それは、承認を得たい・得られる他者(相手)との関係性によって、以下のように分けることができる。

<1>親和的承認(主に家族や恋人など、親和的な関係から得られる承認)
<2>集団的承認(職場や学級など共通の目的を持つ集団のなかから得られる承認)
<3>一般的承認(広く社会一般から得られる承認)(※1)

 この3つの概念は、今後ちょくちょく登場することになるので、ご理解いただきたい。

 今回は3つのなかでも「親和的承認」について考えていこう。取り上げるテーマは、家族が現代社会でどのような位置に置かれているか、だ。

(※1)参考図書:「認められたい」の正体/山竹伸二