なぜ「天高く馬肥ゆる秋」なのか?
教科書で出合うこの「天高く馬肥ゆる秋」という諺(故事成語)、その「意味」や「理由」を説明できますか?
元は中国初唐の詩人、杜審言(としんげん、645年~708年)の詩『蘇味道(そみどう)に贈る』から来ています。杜審言はかの杜甫(とほ)(*1)の祖父にあたります。近体詩の基礎を作った人物です。そこで彼は「雲浄(きよ)くして妖星(ようせい)落ち、秋高くして塞馬(さいば)肥(こ)ゆ」と書きました。見慣れぬ怪しげな言葉が入っています。
●妖星:彗星もしくは大きな流星。凶兆とされていた
●賽馬:北方の馬
秋に雲が少なく、空が澄み切って高く見えるのは良いとして、それがなぜ凶兆であり、そして特に北方の馬が大きく育つと言うのでしょう?
これは実は「匈奴(きょうど)の侵略に備えよ」という警句だったのです。中国において北方の騎馬民族は常に頭痛の種でした。それが収穫の秋になると、大挙して略奪にやってくることを、前漢の趙充国(ちょうじゅうこく、BC137年~BC52年)は見抜き、「馬が肥ゆる秋には必ず事変が起きる、今年もその季節がやってきた」と北方を警戒していました。杜審言はそれを詩としたのです。
なんとこの秋の時候の挨拶「天高く馬肥ゆる秋」が、もともとはそんな軍事的緊張感バリバリの文句だったとは……。
*1 律詩の表現を大成させた。中国文学史上最高の詩人「詩聖」と称される。「国破れて山河在り」の「春望」など。