来週にも参院での審議が始まると見られている生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案。

生活困窮者自立支援法案は、いくつかの地域での生活困窮者支援の実践をもとに、社会保障審議会での議論を通して成立したことになっている。では実際の実践は、どの程度反映されているであろうか?

今回は、先駆的な困窮者支援を展開してきた釧路市の事例を通して、有効な生活困窮者支援・ゴールとされるべき「自立」のあり方について考えたい。

「ユートピア? 違いますよ」

櫛部武俊(くしべ・たけとし)さん。現在は釧路社会的企業創造協議会副代表として、市民の暮らしと仕事を支える場の発展に貢献する。前職は釧路市役所職員。一貫して福祉畑を歩んだ。審議会委員等の経験も豊富
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「このところ『釧路はユートピアだ』という話が広まったりしています。でも、それは違います」

 と語るのは、櫛部武俊さん(釧路社会的企業創造協議会)だ。

 1951年生まれの櫛部さんは、大学で福祉を学んだ後、福祉職の採用を行っていた当時の釧路市役所に就職。市立障害児施設を経て、1988年に保護課(当時)へ。以後、2011年に定年を迎えるまで、釧路市の生活保護行政と生活困窮者支援の前線に立ち続けた。

 櫛部さんは、釧路市の独自の生活困窮者支援を切り開いた立役者の1人として、多方面から評価されている。本連載でもリアルタイムで紹介しつづけてきた厚労省・社会保障審議会「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」の部会委員の1人でもあった。

「逆転の発想なんです。お金がないからこそ、力をそれぞれ出して頑張ろうと。釧路は、辺境の地ですから」(櫛部さん)

 長年の間、炭鉱産業、製紙・パルプ産業、水産業に支えられてきた釧路市。しかし、2002年に近郊の最後の炭鉱が閉山して以後、いずれの産業にも地域を支えるほどの力は期待できなくなっている。2008年、リーマンショック直前の5月には、釧路市の有効求人倍率は0.26倍にまで低下した。求職者の心がけや努力によって就労が可能になる状況ではない。しかも、失業者は産業構造の転換によって生み出されている。産業構造が転換した結果、それまでのスキルや経験が全く評価されない状況が広範に発生しているということでもある。

 増え続ける失業者、自然な流れで増加の一途をたどるしかない生活保護当事者数。地元産業界には、その人々の就労先となるだけの力は期待できない。

 釧路市の生活困窮者支援は、そんな状況が長年にわたって続く中で展開されてきた。