自由化されても、
農家が壊滅しなかった理由

 このとき、「日本の畜産農家、ミカン農家は壊滅する!」と危惧されましたが、日本人に合うかどうかという味覚の問題や、農薬などの食の安全性の問題から、国産牛肉やミカンは消費者に支持され、壊滅することはなかったのです。

 1993年は冷夏でした。フィリピンのピナツボ火山の噴火の影響といわれています。日本でも米不足が起こります。当時の細川護煕内閣は、それまで「1粒たりとも輸入しない」といっていた米の輸入を部分的に自由化しました。

 しかし、輸入米の多くは日本米とは味覚が違うタイ米だったため消費はまったく増えず、日本米と混ぜて販売したり、売れ残って家畜の飼料にされたりしました。

 米の自由化に反対する農協をなだめるため、細川政権は「国内対策費」と称して6兆円の予算を組みましたが、その多くはハコモノ(建築物)に使われ、日本農業の体質改善にはつながっていません。