なぜ欧米の優秀な技術者は
「スペシャリスト」と呼ばれるのを嫌うのか

 欧米では、たとえば優秀な技術者に、「あなたはスペシャリストなのですね」と言うと、嫌な顔をすることが多い。「では、エキスパートと呼べばいいですか?」と言い直しても、あまりいい顔はしない。「そうか、プロフェッショナルか」と言って、初めて笑って、「イエス」と答えてくれる。

 彼らのイメージでは、スペシャリストとは単能工を意味する。ある1つの技術なり、工程の専門家だ。エキスパートは、熟練したスペシャリスト、文字どおり、熟練工を意味する。それらは欧米の技術者の中ではあまり偉いとはされない。偉いのはあくまでもプロフェッショナルだ。

 では、プロフェッショナルというのはどういう存在か。

 1人で相応の価値を上げることができる人である。価値を上げるということはビジネスができるということにも通じる。技術という範囲で言うのであれば、たとえば「釘が打てる」ではプロとは言えない。「家が作れる」となって初めてプロと言える。

 では、1人で家が作れなければプロではないのか。長い時間を掛けて1人でログハウスを作ればプロなのか。もちろん違う。それではビジネスにならない。つまりは、ある一定以上の幅のある技術を習得しているとともに、営業力やマネジメント能力があって、さらにチームビルディングができて初めてプロフェッショナルと呼ばれる。

 ドイツのマイスター制度においても、強調されるのは技術ではなく、マネジメント能力だ。「頑固一徹で、人の話に耳を貸さない。商売下手」。そうした技術者では、押しも押されもしない親方にはなれない。

 マネジメント能力は幅広い。経理やマーケティング力、そして営業力は絶対ないとマイスターにはなれない。さらに、一度マイスターになれても、1年に一度、必ず研修を受けなくてはならない。そこで教えているのはリーダーシップとチームビルディングだ。

 ちなみに技術は教えない。技術の更新は当たり前で、それは自分でやるのが筋だからだ。

 もっとも、実際には、たとえば経理ができないプロもいる。その場合は経理のできる人間を雇えばいい。つまりは手に職を持ちながら、チームを率いてビジネスを通じて価値を提供できる人間がプロフェッショナルなのだ。