年金積立金は縮小できるし、その方が好ましい、というのが筆者のより理想に近い意見だが、政治的、あるいは官僚制度的に、現在のような規模の積立金運用を続けることになった場合に、現在の運用体制がいいかどうか、というレベルの問題も考えておこう。

 GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用資産は、現在の運用部分(財投債込み)で120兆円、ピークでは200兆円を超える可能性が大きいが、この金額を、単一の組織で運用することに問題はないのか。これは、実は、なかなかの難問だ。

 先ず、全体が正しく最適に管理されるなら、資金はまとめて運用管理するほうが効率がいいのは確かだ。また、分割して運用したとしても、年金積立金の運用全体の「合計」を管理する必要はあり、分割によって、運用の困難の総計は全く減らない。

 一方、巨大な資金を一組織で運用する場合、判断のミスが大きな影響を及ぼしかねないという現実的な心配はある。また、「最適に管理」と言っても、能力的にも、手続き的にも、一人ないし一社に(まして一官庁に)、それだけの力がある主体が存在するとは思えない。

 たとえば、運用計画の立案も実行も、現在の資本市場にとっては、超一級のインサイダー情報になり得るが、この管理が完全に出来るか、また、運用会社の評価とコントロールは重要だが、巨大な一社がその一存で採用する運用会社を選ぶ形が健全かという問題もある。

 また、現在の東証一部の時価総額は400兆円強だが、200兆円に基本ポートフォリオの国内株式組み入れ率である11%を掛けると、22兆円となり、GPIFは、東証一部上場企業について、軒並み大量保有報告書の対象になるような大株主になる可能性がある。

 この場合、個々の企業の議決権行使について、これを放棄したり、運用会社に任せてチェックを怠ったりすれば、運用の受託者責任を十分に果たしたとは言えないだろうし、他方、自分達の責任で議決権行使を行うなら民間の企業活動に対する介入になる。基準を示して、運用会社に任せるという形は一見問題を回避できそうだが、個々の企業に対する判断を離れて基準の決定と、適正な運用のチェックが出来るわけではないから、問題の解決にはなっていない。

 あれやこれやと考えると、GPIFの資産を、たとえば数個の単位に分割して管理するという形が、現実問題としては考慮に値する可能性はある。

 こんなことを言うと日本版SWF(政府ファンド)を推進したい人達を喜ばせてしまいそうだが、単純に喜ぶのはちょっと待って欲しい。

 現在のGPIFの資金は、国内株ではざっと75%が、外国株では80%がパッシブ運用されている。パッシブ運用部分は、敢えて分割しても能率が低下するだけだろう。一方、アクティブ運用されている資金は、国株式で約3兆4千億円、外国株式2兆1千億円程度の金額だ。仮にこれらが倍増すると考えても、たいした金額にはならない。日本版SWFとして年金積立金から10兆円も切り取るというような話は、現状の運用から見て、巨大な変化なのだ。