「はじめる」ことと「続ける」こと

 我が家のある南房総市の三芳地区(旧三芳村)は、平野部には農地が広がり、中山間地には昔ながらの暮らしを続ける農家が残っている場所です。温暖な気候から多様な野菜や果物、花などが生産され、蛍舞う美しい水をひいた田んぼから穫れる米は「蛍まい」という名産品になっています。また、酪農家も多く、味の濃い低温殺菌牛乳は道の駅でも買うことができて地産地消の好例となっているようです。

 はじめてここを訪れたとき、絵に描いたような里山の田園風景に心奪われました。数年前までは村全体に信号がひとつしかなく、東京から一時間半でこんなに長閑な場所に来られるのかとちょっとびっくりしました。元気な地元の農家さんたちは、合理的な集約農業ではなく、昔ながらの小さな農業を続け、その手によって里山の田園風景が今も美しく残り、環境が維持されているという塩梅です。

 ここにヨソモノとして入ってきたわたしたちは、都会からたまに来る風変りな家族ということで「別荘扱い」とみなされ、いろいろ教えてもらいながら足らない部分を大目に見てもらっていました。でも、少しずつ地元の方々に触れる中、集落にはこどもや若者がほとんどいないこと、高齢化と跡継ぎ問題が表裏一体となり深刻化していることなど肌で感じ、ヨソモノとして観光客のように環境を享受するだけというわけにはいかないぞ、という思いがふくらんでいきました。時間をかけて地域への愛着が増していくと同時に、地域の問題を自分自身の暮らし方、生き方の問題として捉えるようになったのです。

 どうしようもなく大事な場所、守るべき責任がある場所。そんな大きなものを背負ってしまったことが、わたし自身の生活の豊かさと一体である以上、季節商品のオススメのように「みなさんも二地域居住をどうぞ!」と軽い感じで宣伝することはできないや、というのが本音です。

 でも他方で、背負うものがあることはあながち、悪いことでもないよ、とも思います。わたしにとってそれは逃げ出したい重圧ではなく、どうにかしなければという思いと共にこの土地にい続ける重石として作用しています。10年、20年先にこの地域はどうなるんだろう、自分たちに何ができるんだろう、と悩みや課題は山のようにあります。ある、というか、できてしまうのです。暮らしを重ねれば重ねるほど。

 とはいえ、この暮らしをはじめた当初は、地域の未来を考えるなどというご大層な思いを持つようになるとは夢にも思っていませんでした。そもそも、もうこんな都市生活は嫌で嫌で耐えられない! とか、世界を変えたいならまずは自分を変えろ! といった激しい感情に突き動かされたのではなく、

「田舎に実家がなくても、帰れる田舎が欲しいなあ」
「なりゆきで続けているこの都会暮らしは、わたしたちにとって本当にベストなの?」
「実際、豊かさって何?」

 といったささやかな疑問や願いが育った結果、はじめた暮らしです。必然性はあるのかないのか分からず、あるいはその疑問や願いをそのままずっと寝かせていたとしても、生活に支障はなかったかもしれません。そこで起こした行動にしても「壁紙を変えたいな」と思って壁紙のサンプルを取り寄せ、悩んで、選んで、買って、自分で貼ってみる、という実行力の延長くらいだなと思っています。

 それでも、思うだけなのと、実際にやるのとでは、時間がたつと大きな差が出てくるものです。週末、土の匂いを胸いっぱい吸い込んで草刈りや畑仕事に精を出すという、今までの人生にはまったく存在しなかった行為を繰り返すことで、ものの見方が変わり、感受する世界の範囲も変わり、この生活を「続ける」理由はどんどん増えていきます。

 さらには当初目的としていなかったことにも手を伸ばしたくなり、起こるコト、出会うヒト、見るモノと自分が化学反応を起こしていく。また、都市と里山を往復し、そのどちらもが「現在の暮らしの場」となる中で、双方の要素が自分の中で融合したり反発したりとこれまた化学反応を起こしていく。そうして、都会っ子でも里山っ子でもない、へんてこりんな自分「都会人サトヤマン」ができていくというわけです。

 新しい暮らし方をはじめるときには、もうひとつ家を持っちゃうなんてスゴいことをするのだから、あれもこれも考えておくべき! と自分なりには精いっぱいいろいろ予想してみたものですが、今のわたしから見たらそれでも覚悟も知識も実に稀薄でトンチンカンなところもあり、危なっかしくて見ていられないような部分も大いにあったと思います。

 それでも、あのとき思い切ってはじめてみてよかったと、当時の自分の思い切りに感謝したくなる。まあ、言ってみれば結婚のようなものかもしれません。飛び込まないと、続けることもできやしないってね。(第2回に続く)