田口玄一
 田口は、現代の品質管理手法と低コストの品質工学の先駆者として有名である。

 彼はタグチ・メソッドとして知られる手法の創始者である。これは、実験や統計的分析を用いて品質管理を製品設計に組み込むことによって、設計段階で製品の品質を改善しようという手法である。彼の手法は品質管理の理念ややり方を根本から変えたといわれている。

人生と業績

 1924年、日本生まれの田口玄一は、第二次世界大戦中は日本海軍の航海研究所で軍務に服した。その後、厚生省や文部省統計数理研究所で働き、高名な統計学者の増山元三郎に出会い、統計学の薫陶を受けた。

 1950年に田口は日本電信電話公社電気通信研究所(ECL)に入所し、6年間、電話交換システムの開発に携わりながら実験とデータ分析の経験を積んだ。彼のECLでの研究から生まれた利益が、1960年に品質工学分野における貢献でデミング賞を受賞する助けとなった。彼はその後、日本で最も権威あるものの1つであるこの賞を、さらに3回受賞した。

 田口はアメリカのベル研究所で産業統計専門家とともに働き(合わせてSN比の研究を始め)、その後1962年に九州大学より博士号を取得した。彼はコンサルタントとしてECLに関わり続け、日本規格協会の准研究員となり、協会内に品質工学研究グループを設立した。1964年に青山学院大学の教授に就任し、その後17年間は同大学で自らの手法の開発に努めた。

 この間、田口は日本以外ではほとんど無名であった。彼は品質損失関数の概念を1970年代初めに開発したが、田口の手法が確立されたのは1980年代に日本品質学会の会長としてアメリカのAT&Tのベル研究所を再訪したときだった。

 その後、ゼロックス、フォード、ITTといったアメリカ企業で田口の方法論に対する関心が高まった。1982年に田口はフォードの役員向けのセミナーに関わるようになり、翌年、フォードサプライヤーインスティチュート(後のアメリカンサプライヤーインスティチュート:ASI)の役員になった。さらに1986年には、日本の経済と産業への貢献に対し藍綬褒章を授与され、コストと品質を改善する統計的方法の研究に対し国際技術研究所よりメダルを授与された。