目に見える里山の風景は、
その地域に住む人たちの生活を象徴している
山崎 見え方が変わるっていうのは間違いなくあると思いますよ。僕はランドスケープデザインというのを学んでいたんですが、それまでは「山は山じゃん」って思ってたんですよ。でも、山にも種類がいっぱいあるわけです。放置していると下草が生えてきて、マント群落なんて言われるんですけど、一番光が入るところから順番に蔦系の植物が生えてきて、中に光が入らなくなってマントをつくっちゃうんです。
そんなような状態になると、中に入るのが面倒くさくなっちゃいますよね。「竹藪だったら、傘を差して通れるくらいがいい」ってよく言われますけれども、そんな状態で管理されている山を見ると、「この地域はすごい」って思うわけです。
普通、マント群落ができて、陰で育つような種類の植生ばっかりになっちゃうと、「これは20年くらい何もやってないな」とわかります。それは風景を見ているようで、その地域のコミュニティや、そこに住む人たちの生活を見ていることになるんですね。
馬場 わかる、わかる。年数を経るごとに移ろっていくんです。同じ場所がずっと同じ風景じゃないんですよね。でも今の日本では、風景を管理する人たちが少なくなっているから、耕作放棄地が明らかに増えているんですよ。何気ない景色を見ていても、「あぁ、住む人がいなくなっちゃったんだね」とか、わりと我が事のように心が痛んだりして。これが、今は、ボコ、ボコとあるだけだけど、一帯がダーッとそうなっていった時いったいどうなるんだろうと。
山崎 そういう集落をなんとかしたいっていう若手がいて、自分たちでアクションを起こしたところは残るんですよ。でも、「何もやりたくない」とか「行政がなんとかしてくれる」というところは消えざるを得ないと思いますね。
日本の人口はこれまでずっと増えていたので、1980年くらいまでは、中山間地域の人口も一応増えているところが多かったんです。農林水産省と国交省の統計も取り方によって違いますけれど、例えば2万近くの集落が日本全国にあるとしても、それが2万のまま生き残っていくっていうのは、もう難しい状態なんですね。集落の人口が減り始めてから30年経っているので、今まで通りやっていて「2万の集落を全部活性化します」ということには、なかなかならない。
とすれば、「そこで誰が活性化するのか?」というのが、やっぱりすごく大事なんです。その時に、二拠点で居住している人たちが集落に入って草刈りをやるとか、地域の人たちに「一緒に何かやりましょう」と新しい活力になるような話をするとか、また一方で、地元にも若い人たちが戻ってきて「次は俺らがこの町をなんとかする」という気力が湧いてきた集落は、これからも先があるんだろうなという気がします。
ちなみに、集落の構成って、「末端集落」から順番に消えていくんですね。その谷間の一番端っこにある集落がやっぱり弱いんです。
馬場 末端集落ですか…。
山崎 谷間のドンつきですね。道路がそこから先はないっていう集落。
馬場 うちじゃん(笑)。
山崎 そこから順番になくなっていくんですよ。道が重なるところには「基幹集落」というのがあって、基幹集落が先に弱ると、末端はその10年以内に必ず弱っちゃいますね。
馬場 身につまされる話ですね。ちなみに、基幹集落ってどういうところですか?
山崎 道がいくつかに分かれていくような場所ですね。「ここから向こうに行くと、集落が2つ、3つあるよ」とか、「こっち行くと、もう1つしかないよ」というようなところ。末端が弱っても基幹が元気であれば、とりあえずそこで食い止められるんですけれども、どうしても末端集落が一番弱いんです。だから今、行政がもし何か手を打つのなら、「どの集落が残ってもらわないと困るのか」について戦略を考えることだと思います。基幹集落に人が移住してくれるかどうかも問題ですが、「ここが弱ったら、周辺全部弱るよ」というところを見極めていかないと。
馬場 あぁ、なるほどねぇ。
山崎 結局、末端集落の人たちが移住するという時には、基幹集落をスルーして地方都市まで行っちゃうんです。そうならないように、一歩手前で食い止めないといけないですね。