東日本大震災後、約15万人の福島県民が県内外に避難した。2014年3月現在は県内外合わせて約13万人、震災から3年以上経った現在も避難状況はさほど変わっていない。はたして福島の復興は進んでいると言えるのだろうか。

そのような中「より多くの人たちに福島へ足を運んでほしい」との強い思いで震災前よりも多くの観光客を集めるレジャー施設がある。映画「フラガール」で有名なスパリゾートハワイアンズ(福島県いわき市)だ。

東日本大震災の翌月、2011年4月11日「4.11」に壊滅的な被害を受け、閉鎖もささやかれていた当施設だが、2011年10月に部分オープンで営業を再開、2012年2月にグランドオープンを果たし、2013年には来場者累計6000万人を達成した。現在も福島県内外から多くの観光客が訪れる。「復興のシンボル」と言われるハワイアンズは、震災後、どのような困難を乗り越え、いかにして復興を果たしたのか。当時の統括支配人(現在はレジャ-リゾート事業本部業務改革室長兼人事部長)の下山田敏博氏にお話を伺った。(聞き手・構成/ダイヤモンド・オンライン編集部)

何の前ぶれなく
起こった大地震

壊滅的ダメージは[3.11]より翌月の[4.11]だった <br />東日本大震災、現場では何が起こっていたのか<br />――スパリゾートハワイアンズ前統括支配人に聞く、震災と復興の今【前編】しもやまだ・としひろ
常磐興産株式会社レジャーリゾート事業本部業務改革室長兼人事部長。スパリゾートハワイアンズを運営する同社の、3.11の時の統括支配人。震災の3ヵ月前に辞令を受け、2014年4月までの3年5ヵ月現場を務める。現在は社内の人材育成や業務改革などを行う。

 本当に何も前触れもなく、(2011年)3月11日の14時46分、あの地震が起きたんです。福島県のいわき市はもともと、あまり地震が発生しない地域なんですね。ですから、本当に突然のことで。その時、私はホテルハワイアンズのフロントの脇にある荷物を預かるクローク近くの従業員専用通路を歩いていました。

 目の前に別の社員がいて、携帯を見て「今から地震がくるぞ」と。当時は今のように地震速報が携帯やスマートフォンで見られること自体があまり知られていませんでしたので、何のことかわからなかったのです。そうこうしているうちにドーンときたんです、地震が。ものすごい揺れでした。

 防災センターになっているホテルフロントの事務所に駆けつけると、施設内で異常が起こった時に点滅するランプが、300以上、すべて点滅していたんです。すぐに館内放送をかけ、お客様の避難誘導をしました。ところが、電話がつながらず、外部から情報がまったく入ってこない。テレビは映りましたが、放映されている内容は、「宮城県沖で地震が起きました。津波が町を襲っています」だけだったんです。福島の様子、いわき市の様子は把握できませんでした。

――当時お客さまは何人くらいいましたか?

 ホテルエリアで約1000人、フラガールのショーが行われるプールエリアで約1500人の、合わせて2500人。約300人のスタッフと合わせて2800人が、あの地震の瞬間、われわれのこの施設の中にいました。

 最初は、ホテルのロビーに皆さん集まっていただき、様子を見ていました。
 ところが頻繁に余震が起こり、外に避難をすることにしました。

 ものすごく強い余震だったので、建物がきしみ、不気味な音をあげていたんです。メリメリ、ギーギーと、うまく表現できないですけど、今にも潰れてきそうな音。もう本当に崩れてきそうな感じだったんです。ふと頭の中によぎったのは2011年2月22日のニュージーランド大地震、その時の崩れた建物の様子を映したテレビ映像でした。