集団的自衛権を議論する際、まずは現在の国際情勢をどのように認識するかがあり、そこから政策として集団的自衛権を行使できるようにすべきかどうかが、判断されるべきだろう。「戦略的思考、現実主義、戦略的アプローチ」の立場から「積極的平和主義」を提唱する日本国際フォーラムの伊藤憲一理事長は、人類の歴史を戦争史という視点で分析している。その伊藤理事長に、現代という時代に対する認識と、集団的自衛権について考えを聞く。
(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 原英次郎、編集部 小尾拓也)
行使が必要であるという時代認識を
はっきりさせることが最初に必要
1938年東京生まれ。60年一橋大学法学部を卒、外務省入省。ハーバード大学大学院留学。在ソ、在比、在米各大使館書記官、アジア局南東アジア一課長等を歴任し、77年退官。80年に青山学院大学助教授、米戦略国際問題研究所(CSIS)東京代表に就任したが、87年日本国際フォーラム創設に参画し、現在同理事長、グローバル・フォーラム代表世話人、東アジア共同体評議会会長、青山学院大学名誉教授等を兼任する。2011年カンボジア大学より国際問題名誉博士号を贈られた。おもな著書に『国家と戦略』(中央公論社、1985年)、『新・戦争論:積極的平和主義への提言』(新潮社、2007年)、監修書に『東アジア共同体白書二〇一〇』(たちばな出版、2010年)などがある。
――集団的自衛権を行使できるようにすべきかどうか、その点はどうお考えですか?
賛成か反対かと聞かれれば、もちろん賛成です。日本に限らずすべての国家が自衛権――自分を守る権利を持つというのは自然権(生まれながらにしてもっている権利)であって、自衛権をさらに分類して個別的自衛権なら認めるが、集団的自衛権は認めないというのは、自然法としての憲法立論の根拠として成り立たないと思います。ですから、自衛のために必要なすべての手段を取る権利という意味で、集団的であろうが個別的であろうがその区別はないという理由で賛成します。
――集団的自衛権の問題を論じるときに、本来なら日本を巡る国際情勢や安全保障環境をどのように認識したうえで、だからこれが必要だとか、必要でないとか、議論をすべきなのではないでしょうか。
仰るとおりです。いま日本で行われている議論は、個別に集団的自衛権行使が認められるケースを列挙してみたり、あまりにも枝葉の議論に集中しています。議論が理論的でも、歴史的でも、政策的でもない。やはり総合的な判断として、集団的自衛権の行使が必要であるという時代認識をはっきりさせることが、最初に求められているのではないでしょうか。
私は人類の歴史を「無戦時代」「戦争時代」「不戦時代」の3つに大別して、第2次世界大戦後から今日に至るまでを「不戦時代」と認識しています。