“売名行為”と規制緩和が
徐々にコンサル活用を後押し

 まだまだ混迷の時代ですね。BCG東京オフィスの経営も大変で、1987年には、オフィスを存続させるか否かを検討するためにアメリカ本社の社長が日本までやってきたことがありました。1週間ほど滞在して会議を重ねていたのですが、帰国を前にした彼が私に「君に(日本法人の)社長をやってほしい」と打診してきたんです。私は「日本は年功序列の社会。ここには先輩が15人もいるのに、私が社長なんてできません」とお断りして、その場は物別れに終わりました。

 すると2週間くらい後にアメリカから電話がかかってきて「ドイツから“スイーパー”を送る」と言う。やってきたピーター・ストルーベンという男は身長が2m近くあって、まさに“スイーパー”。私の上にいた15人をわずか3~4ヵ月で本当に全員解雇してしまった。こうして彼との共同経営が始まりました。当時、BCG東京オフィスのコンサルタントは、15人が抜けて、残りが21人という所帯でした。

並木 日本でコンサルティングという職業を浸透させるために、どんなことをされましたか?

 80年代のどうしようもない状況の中で思いついたのが、私やマッキンゼーの大前研一さんによる、いわば“売名行為”でした。お互いに相談し合ったわけではありませんが、それぞれいろんなところに出て行って名前を売ることを始めたわけです。だから最初は、どちらかというと、まず堀紘一とか大前研一という個人名があって、あいつらは何者なんだ、という流れでBCGやマッキンゼーの名前が出てくるという感じだったと思います。BCGと言っても、ツベルクリンの会社じゃなくてボストン・コンサルティング・グループという会社なんだ、マッキンゼーというのはアメリカの由緒あるコンサルティング会社なんだと認識されるようになったのは1990年頃のことではないでしょうか。

並木 認知度が徐々に向上したとはいえ、企業が実際にコンサルティングを活用するとなるとまだまだ消極的なところが多かったのでは?

 その通りです。例えば銀行を例にとると、アメリカではコマーシャル・バンク(商業銀行)は「3-I(スリーアイ)」といって、Investment Bank(証券会社)、Institutional Bank(企業向け銀行)、Individual Bank(個人向け銀行)の3つに分類されているのに対して、日本では一つの支店がそれらすべての役割を担っている。たいてい名支店長と呼ばれるような人がいて、その人のさじ加減一つで仕事が回っているんです。なぜか。日本の銀行の世界は非常に複雑な規制が張り巡らされていて、そういう仕事のやり方でも十分に儲かるようになっているからです。新しい支店を作るのも、どの四つ角のどのビルに入居するかというところまで、大蔵省の認可が必要なほどだった。

 銀行だけでなく、どの業界もいわゆる「護送船団行政」で、そこまで規制でがんじがらめにして言う通りにやらせている以上は、行政としては倒産させるわけにはいかない。企業が国に守られているような社会では、コンサルティング会社なんて不要ですし、逆に言えば、各役所が業界ごとにコンサルティングを行っていたわけです。

 その後、少しずつ規制が緩和され、海外勢との競争に自らの経営努力で勝ち抜いていかなければならないように変わってきたことで、コンサルティングが徐々に必要とされる時代になってきたのだと思います。