マルクスは、「賃金を決定する際の、これだけは外せない最低限の基準は、労働期間中の労働者の生活が維持できることと、労働者が家族を扶養でき、労働者という種族が死に絶えないことに置かれる」(『経済学・哲学草稿』第一草稿・一.賃金)という言葉を残しています。

「アダム・スミスによれば、ただの人間として生きていくこと、つまり、家畜並みの生存に見合う最低線に抑えられている」とも言っています。(同)年齢によらず、社会人経験によらず、みんな「生きていくために必要な最低限の給料」しかもらえないのです。

「最低限の給料」の意味は少し変わっています。餓死する一歩手前ということではなく、現代の生活に照らし合わせて「ふつう」と思える生活をできるだけの金額です。

 一日中働いているのに、家族がボロボロの服を着て、いつもお腹をすかせていたら、それは「明日も元気に働くこと」はできないでしょう。でも、いくら働いても、いくら経験を積んでも「豊かになるためのお金」はもらえません。いくら成果を出しても、です。

 労働者として給料を上げるということは、それだけ必要なコストを費やすということなのです。労働者の給料が上がるのは、成果を上げたからでなく、言ってみれば「生活費が上がったから」です。もしくは、「ストレスが増えたから」です。

 というのは、労働者の給料には、「仕事によって失われた精神的エネルギー」を回復するための費用も含まれているからです。つまり、ストレス回復費も加算されているのです。

 そのため、プレッシャーの高い仕事に就けば、それだけ給料が上がります。責任が重い役職は、その分給料も高いです。これを逆に考えると、「ストレスが高いから、その分給料が高い」ということなのです。

 つまり、企業で働く労働者が収入を上げるためには、それ相応の対価を支払わなければいけないということです。

 商品にたとえれば、売値を1万円高くできて喜んでいたら、じつは原価も1万円上がっていて、自分の取り分が変わっていなかったというようなことです。

 となると、いくら稼いでも、豊かにはなれません。年収が増えたら、どれだけ豊かな生活が待っているだろうかと妄想する人は多いです。

 しかし現実的には、収入と同時に必要経費が増えるのです。また、年功序列型の給料が右肩上がりなのも同じ理屈です。ある程度年齢がいって、家族を養うのにお金がかかるから、その分給料に上乗せされます。だから「高給」なのです。

 ですが当然、その人が生活していく、家族を養うために必要な金額をもらっているだけなので、月末になれば「いつの間にかお金がなくなっている」のです。

 給料の決まり方のルールが変わらない限り、これは変わりません。厳しいですが、これが現実なのです。