誰の人生にも照る日もあれば降る日もあります。全てが上手くいっている、と思えた次の瞬間に悲劇が襲うこともあれば、絶望のどん底で観念すると、思わぬところから救いの手が差し出されることもあるのです。

 20歳のブラームスの旅は磁石なき航海の如きものでした。前回の本コラムのとおり、ヴァイオリン奏者レメーニの伴奏者として旅に出たにもかかわらず、3ヵ月足らずでクビになってしまいました。しかし、旅で出会った腹心の友ヨーゼフ・ヨアヒムが救いの手を差し出し、20歳の貴重な夏をゲッティンゲン大学で過ごすことができました。そして秋、再びブラームスの一人旅が始まります。

 と、いうわけで、今週の音盤はヨハネス・ブラームス「ピアノ協奏曲第1番ニ短調・作品15」です(写真は、ピアノがクリスティアン・ツィマーマン、サイモン・ラトル指揮ベルリンフィル盤)。

運命の出会いに辿り着くまで

 三つ子の魂百まで、とも言いますが、人間は成長し続けるものです。若い頃にはできなかったことが大人になるとできるようになることもあります。その差は何だと思いますか?

 それは、傷つくこと、に対する耐性でしょう。

 若く未だ自分が何者かも分からぬ頃は、様々なことに傷つきます。それは、若さの証でもあり、自分を知るために不可欠なプロセスでもあります。とりわけ内省的な性格だったブラームスは、一つの出来事のよって深く傷つきました。

 それは、ブラームスが旅に出るよりも前、ハンブルグで燻っている頃のことです。ハンブルグにロマン派の旗手シューマン夫妻がやって来ました。シューマンの虚飾のない新しい響きに特別な霊感を感じ、自分と共通する音楽的な何かがあると感じたブラームスは、シューマン夫妻宛てに、それまで書き溜めた自信作の楽譜を送りました。

 ところが、その作品は封も切られることなく送り返されてきたのです。シューマン側にしてみれば、どこの誰かも知らぬ人から突然送られてきても、それを吟味する時間的余裕などあるはずもなく、当然といえば当然の事情でした。

 しかし、内気なブラームスにしてみれば、清水の舞台から飛び降りるほどの決意で楽譜を送ったのに、この仕打ち…となり、この記憶は深く刻み込まれました。