米海兵隊が創造した「水陸両用作戦」という概念

 『失敗の本質』から10年後の1995年に上梓したのが『アメリカ海兵隊』(中公新書)である。趣味的関心を持ってアメリカ海兵隊に関する文献を収集して、彼らの強みを研究したものだが、やはり、彼らを特徴づける作戦は「水陸両用作戦」であった。そもそも「水陸両用作戦」という新しい概念(コンセプト)の戦闘スタイルは、米海兵隊によって生み出されたものである。

 海兵隊の起源は、独立戦争の最中、米海軍の中に創設されたことに始まる。1775年のことである。以来、この組織は大きな戦争が終わるたびに存亡の危機に立たされながらも、新たな存在意義や使命、作戦を創出することによって、2世紀半を生き延びてきた。

 オレンジ計画が策定されつつあった1920年ごろも例外ではなく、アメリカ海兵隊は第一次大戦後のアメリカで自らの存在意義を示す必要に迫られていた。そこで、海兵隊のアール・エリス少佐は非公式に策定されつつあった「オレンジ計画」を基礎として、1921年に、「ミクロネシアにおける前進基地作戦」という研究論文を書いたのである。そして、この論文は、1924年に陸海軍統合会議によって正式な承認を受ける「オレンジ計画」の基礎の1つとなった。

 この論文でエリス少佐は革命的と言っていい提言をしている。それは、太平洋で戦争が起きた場合、島嶼における敵前強行上陸こそが海兵隊にとって最も重要な任務になると看破し、水陸両用作戦がその重要な戦術となるという内容である。前進基地の奪取という概念は、「上陸作戦マニュアル」として、1935年までに仕上げられていく。

 その過程で徹底的に研究されたのが、第1次世界大戦のトルコで行われ、大失敗に終わったガリポリ上陸作戦だった。この作戦を先導したのは、他でもない、イギリスの若き海軍大臣・チャーチルだったのは偶然だろうか。

 さて、地上戦と水陸両用作戦の最も大きな違いは、乗艦させた兵員を上陸地点まで運び、そこで母艦から上陸用の舟艇に移した後、軽装備で砲兵の直接支援のないまま、敵地に上陸させることにある。そして、水陸両用作戦は5つの構成要素に分けることができる。指揮系統、艦砲射撃、航空支援、上陸行動と海岸橋頭堡の確保、そして兵站である。ノルマンディー上陸戦におけるこれらの具体的な適用については、次回、詳しく見ていきたいが、1つだけ、最後の兵站に関して述べておきたい。

 ガリポリの経験に学ぶと、上陸作戦成功の重要なカギは兵站にある。部隊、補給、装備の船への積み込みと、上陸地点での積み出しをいかにうまくやるか、ということである。

 それには、各々の船中には、戦闘に必要な補給・装備が完結した形で積み込まれているとともに、敵が待ち構えている上陸地点に向かう船中では、上陸と同時に使うものが上方甲板近くに置かれ、上陸時には効率よく積み出されるなど、戦闘補給単位積荷というテクニックが必要となる。ノルマンディー上陸戦では、そのために、各船の部隊司令官の下には輸送補給担当将校が配置されていたのである。