書道には
コンプレックスがあった
長谷川 書道についても才能がなかったと思っていたのですか。紫舟さんは小学校で書道八段をとられているので、才能があったのかと思うのですが。
紫舟 段をとれたのは、単に長時間訓練していたし、先生も厳しかったので結果が出ただけだと思います。
長谷川 周りの人から、うまいと言われたりとかは。
紫舟 たとえば年賀状を自分の好きな書体で自由に書いたときに、友達のお父さんから褒められたことはありましたが、それくらいでしょうか。楷書や行書はうまく書けないというコンプレックスがあったので、わざとオリジナルの書体にしたのだと思います。
長谷川 紫舟さんはコンプレックスを持っていたとしても、周りの方から上手だと思われていたと思います。自分の中で、下手だという感覚が強かったのでしょうか。
紫舟 今考えると、手より目の成長が早かったから、自分のことを下手だと思っていたのかもしれないですね。目はどんどん成長して、お手本と比べて自分の書がどうかを深く見ることができるのに対して、手の成長は遅かった。だから、常にお手本よりも劣っていると思っていたのかもしれません。
長谷川 書道をしていてよかったと思うことはありましたか。
紫舟 長く続けていたことが、自分を支える自信につながったと思います。子どもの頃は、誰でも一つのことを長く続けることは難しいと思うんです。でも、書道は長く続けられたから、「自分もやればできるんだよ」という自信になりました。同時に、才能がないとトップクラスにはなれても、トップにはなれない、という思いも持っていましたね。
「あきらめない」姿勢が
今の成功を導いた
長谷川 では、今のご活躍につながったのは、ご自身にどのような才能があったからだと思いますか。
紫舟 「あきらめない」姿勢だと思います。書を始めた頃はできなかったのですが、今ではできるようになりました。子どもの頃にとても悔しい思いをして身についたことです。私は昔から絵描きになりたくて、将来は美大に行きたかったのですが、先生に無理だと言われてその場であきらめたことがあったんです。「美大に行くには、遠くにある美大専門の予備校に行って勉強しないと美大には受からないし、絵描きになったって食えないからやめたほうがいいよ」って言われただけで。十数年ずっとなりたいと思っていた夢ですよ。その経験を思い出すたびに今でも悔しい気分になります。もうあんな思いは二度としたくないと思うようになりました。今でも芸大に行きたいと思っています。
長谷川 なるほど、一度悔しい想いをしたからこそ、あきらめずに粘り強くひとつの目標を追い求めることができたと。では、書道家になろうとしたのはなぜですか。大学卒業後は3年間OLをされていたわけですが。
紫舟 小学校のころからOLになるまで、ずっと心に重い物があったんですよ。今の場所は自分の居場所ではないという思いが。でも自分には何が向いているのかがよくわからなくて。会社を辞めて自分の内側に問い続けた結果、「自分は書道家になるんだ」ということがわかったときに、すっと心が軽くなったんです。その感覚を信じようと。
長谷川 その結果、ここまでご活躍されるようになったと。紫舟さんの作品は素人目から見ても創造的で独創的だ思うのですが、そのような創造性って、どうして伸びたと思いますか。
紫舟 家でひとりでいる時間が長かったからだと思います。子どもの頃、寂しさを感じる時間を埋めるために、いろんなことを想像していました。たとえばストライプ状に穴が開いている天井があるとするじゃないですか。それを見て何時間も空想し続けていたり、物語を作り続けることで想像力を鍛えていたんです。両親は申し訳なかったと今でも言ってくれますが、一人も悪くなかったと私は考えていますよ。
長谷川 家でひとり寂しさを紛らわすための空想の時間が、独創性を鍛えることになったという点はとてもおもしろいですね。両親も意図していなかった意外なことが、才能を伸ばすきっかけになるんだなと思いました。