この夏、ノルマンディーを再訪し、人工港の残骸やボカージュ、レジスタンスの功績を強調する博物館を見学して、アイゼンハワーや多くの兵士たちがつくった歴史の重みに接し、あらためて多くのことを感じた。また、フランス滞在中にフランス経済の凋落ぶりを目の当たりにして、歴史は繰り返す、という言葉を思い浮かべずにはいられなかった。
激しい艦砲射撃を物語る無数の巨大な穴
実に22年ぶりのノルマンディー訪問であった。
2014年の8月の末、フィンランドのヘルシンキで地域活性をテーマにしたコンファレンスに出席した後、かの地に立ち寄ったのだ。
22年前と同じく、まずパリに入り、そこから鉄路、カーンまで移動した。
カーンはパリから北西に約200キロ、かつてノルマンディー公ウィリアムが治めた古都であり、カルヴァドス県の県都でもある。ノルマンディー上陸作戦においては、連合軍とドイツ軍が交通の要地であるこの地を巡って激しい戦いを繰り広げ、実に町の70%が破壊されたという不幸な歴史を持つ。
パリからTGVに乗ってカーンには午前中に着き、町の中心部から30分ほどの距離にあるメモリアル博物館に移動した。博物館を起点とした戦跡ツアーが催されていることを知り、現場好きの私は、早速、参加を決めた。カーンには翌日の昼まで滞在する予定だったので、博物館内部の展示は翌日の午前中にじっくり見ればいいと考えたのだ。
英語ガイド付きのマイクロバスで回るという。所用時間は4時間ほど、ツアー参加者はわれわれ夫婦の他は米国人とカナダ人の夫婦や子ども連れの十数人だった。もしかしたら、この地で戦い、尊い命を落とした兵士の子孫なのかもしれなかったが、尋ねるのはためらわれた。
Dデイ当日の最大の激戦地、オマハ海岸の西端に位置するオック岬の頂上から見た景色には度肝を抜かれた。断崖絶壁の海岸線に沿って、艦砲射撃の跡である砲弾の穴が無数にあいていたのだ。緑に覆われてはいるがはっきりと見える。隕石によって生じた巨大なクレーターのようだった。
艦砲射撃の援護を受けて、米国軍のレンジャー部隊は、この高さ30メートルの断崖をよじ登ったのである。彼らのミッションは崖の上にあるとみられていた6基の155ミリ砲の破壊だった。ロープや梯子や使い、敵の銃弾をよけながら必死に頂上に登った225名のうち、実に135名が命を落としたという。