麻生太郎首相は、郵政事業の民営化の一翼を担った責任を糊塗しようとするかのような答弁を繰り返して国民の苛立ちを募らせている。
一連の発言は、弁護の余地がないほど情けない。身内の自民党からも首相を諌める声が噴出している。だが、問題は、政治家の言葉として情けないということにとどまらない。
むしろ、経営的に行き詰まりつつある日本郵政グループの4事業会社体制の矛盾や郵便局の全国ネットの危機を指摘して、構造的な是正策の必要性を論じることをタブーにしかねないムードを醸成していることこそ、麻生発言の救い難い“罪”とみなすべきではないだろうか。
「私の場合、小泉総理の下にあって、賛成でなかった。解散の詔書にも署名しないと言って問題になった立場。しかし、内閣の一員として最終的に署名しました」
「ひとつだけ言わせて下さい。皆さん、勘違いされている。私は(総務大臣であって、郵政民営化)担当大臣ではなかった」
「皆、意図的かどうかわからないが、一緒にしたがっているが、郵政民営化の担当は竹中(平蔵)さんだった。私は反対だとわかっていたので、私だけ外されていました。これだけは記憶して。妙に濡れ衣を着せられるようなことは、甚だ面白くないから」
麻生首相は5日の衆議院予算委員会で、延々と、この情けない発言を続けた。
質問者の筒井信隆議員(民主党)が呆れて、
「信念のある政治家なら、意思を明確にすべきだった。それなのに、サインしたのですか」
と皮肉っても、麻生首相は一向にその意味を理解できなかった。そして、
「最後まで(サイン)しなかったため、揉めた」
と逆に胸を張って見せたのだ。
結局のところ、この首相は、自らの意思を曲げてまで大臣の椅子に固執したことへの恥など感じないらしい。
むしろ、この首相にとっては、最後まで反対したことが十分に誇れる、素晴らしい手柄だと言うのである。だからこそ、小泉・竹中コンビが進めた郵政民営化が今なお気に入らず、「私は外されていた」と言い続けているわけだ。