会社所在地は昔、「宝の山」だった
2003年、最初の里山公園「花木園」をつくったとき、地元の農家の方から、
「このあたりは昔、やまゆりが群生して、すてきなところだった」
という話を聞きました。
その話を聞いて、「そもそもここはどんな森だったのかな?」と思いました。調べてみると、現在、石坂産業のある土地は、かつてなかなか作物が育たないところでした。
その土地を開墾し、「三富新田」をつくったのです。
当社の周辺の森林は、開墾した土地の農用林、つまり里山でした。
里山として使われていた頃は、クヌギがたくさん植えられていました。
クヌギは10~15年ほど経つと伐採し、それを薪やシイタケを育てるホダ木(シイタケ栽培のときに種菌をつける原木)として利用していました。
昔の人は里山の落ち葉掃きをして、それを堆肥にして畑で再利用するという循環農業をしていました。
いまでも農家の人たちは、プラント周辺の雑木林を「山」と呼びますが、それは「宝の山」という意味の「山」なのです。
堆肥、薪やホダ木、山菜など、生活に必要な宝物がたくさんあるから、宝の「山」なのです。
ところが、都市化が進み農業を営む人が少なくなると、落ち葉掃きや間伐がされなくなり、里山はジャングル化しました。しかも、化学肥料が使われるようになり、堆肥を使う人もいなくなりました。
山は不要になり、地主の方たちは森を売り、その土地を購入した産廃業者の一人が、私の父です。
こうして森は虫食い状態になり、取り残された森は放置され、ますますジャングル化が進みました。もともと里山だった雑木林は不法投棄されたり、いろいろな虫がわいたりして、人がまったく入らない森になってしまったのです。