1つの物語の終焉と新しい物語の幕開け

神田 その後、ISOの3統合や3S(整理・整頓・清掃)を徹底して、会社を変革していかれるわけですね。しばらくすると、再び悩み深い時期がやってきますよね。若手の有望株が辞めていくという……。

石坂 社員教育を始めて4年経つと、新しい人が入り、組織としては少しずつまとまってきたのですが、社員は厳しいルールを押しつけられたことに不満を持ち、ストレスを感じるようになりました。「会社の未来が見えない」「ここにいても自分の将来がよくなるとは思えない」などと言って、期待していた若手社員が会社を去っていきました。この時期には家庭も崩壊していますし、ガリガリに痩せて30代には見えないほどでした(笑)。

神田 その時期は自己探求を図っていた時期です。このままでいいのか、いけないのか。そして、いままでやってきたことを捨てて、進むべき方向に精力的に動いていきます。石坂社長の歩みを振り返ってみると、非常に能力のある経営者のリズムをたどってきています。石坂社長は「石の上にも8年」とおっしゃっていますよね。

石坂 はい、社長に就任して8年くらい経った頃、社員が変わってきたのです。3Sが徹底され、私が細かいことまで指示しなくても、社員が自分で考えられるようになりました。会社の周辺にあった森林を整備して公園をつくり、地元の人たちに楽しんでもらえるようにもなったのです。

神田 「絶体絶命でも世界一愛される会社」を目指してスタートし、何度かの踊り場を経ながら、ようやく努力が報われる時期に入ったのです。

石坂 なるほど。

神田 ただ、「絶体絶命でも世界一愛される会社に変える」というストーリーはすでに一区切りついていて、石坂社長は新しいストーリーを描いて歩き出しているというのが私の考えです。

石坂 そうなんですか?

神田 僕はコンサルタントなので、経営者の未来をアドバイスすることが求められています。おそらく石坂社長は気づいていると思いますが、絶体絶命のピンチから脱皮しようというストーリーは2年くらい前に終結しました。新しい転換点を迎え、まったく別のストーリーが始まっていると思います。1つの物語の終焉と「新しい物語」が幕を開けたのです。
(後篇へ続く)

<著者プロフィール>
埼玉県入間郡三芳町にある産業廃棄物処理会社・石坂産業株式会社代表取締役社長。99年、所沢市周辺の農作物がダイオキシンで汚染されているとの報道を機に、言われなき自社批判の矢面に立たされたことに憤慨。「私が会社を変える!」と父に直談判し、2002年、2代目社長に就任。荒廃した現場で社員教育を次々実行。それにより社員の4割が去り、平均年齢が55歳から35歳になっても断固やり抜く。結果、会社存続が危ぶまれる絶体絶命の状況から年商41億円に躍進。2012年、「脱・産廃屋」を目指し、ホタルや絶滅危惧種のニホンミツバチが飛び交う里山保全活動に取り組んだ結果、日本生態系協会のJHEP(ハビタット評価認証制度)最高ランクの「AAA」を取得(日本では2社のみ)。
2013年、経済産業省「おもてなし経営企業選」に選抜。同年、創業者の父から代表権を譲り受け、代表取締役社長に就任。同年12月、首相官邸からも招待。2014年、財団法人日本そうじ協会主催の「掃除大賞」と「文部科学大臣賞」をダブル受賞。トヨタ自動車、全日本空輸、日本経営合理化協会、各種中小企業、大臣、知事、大学教授、タレント、ベストセラー作家、小学生、中南米・カリブ10ヵ国大使まで、日本全国だけでなく世界中からも見学者があとをたたない。『心ゆさぶれ! 先輩ROCK YOU』(日本テレビ系)にも出演。「所沢のジャンヌ・ダルク」という異名も。本書が初の著書。