戦後70周年という節目の年に当たる今年、中日関係はいったいどう歩むのか。昨年11月には、中日首脳会談がようやく実現し、中日関係の氷を打ち砕く一筋の光が見えた。そこで本稿では、中日関係の流れを大きく変えた首脳会談実現への経緯を振り返り、その意義を見出した上で、最近の動きをレビューしつつ、今後の中日関係を展望する。

「中日4項目の合意」は外交の知恵――倪 志敏ニイ・ジミン
専攻は戦後中日関係史、博士。中国国家博物館に勤務した後1992年に来日、一橋大学大学院で学ぶ。中央大学、一橋大学客員研究員等を経て、現在龍谷大学、桜美林大学客員研究員。共編著に『中国共産党七十年図集』、『浩然正気』等。主要論文に「池田内閣における中日関係と大平正芳」、「田中内閣における中日国交正常化と大平正芳」、「大平正芳と阿片問題」、「大平正芳内閣と中日関係」、「釣魚島(尖閣諸島)領有権問題に関する中日間の『棚上げ合意』の史的経緯」等。

 中日首脳会談から2ヵ月余りが経った。表1で記したように、日中貿易の拡大、中国からの訪日旅行者数の倍増、釣魚島(日本名:尖閣諸島)周辺での偶発的衝突を防ぐ「空海上連絡メカニズム」の早期運用に向けた課長級協議の開催、等の出来事に象徴されているように、中日関係の底流に好ましい兆候が現れ始めた。とりわけ経済、文化、人的交流の分野では、「雪解け」の音が生々しく聞こえてくる。

 他方、中日間の政治的緊張が依然解消されておらず、歴史問題、安全保障をめぐる対立と不信も増幅する傾向がある。中日関係は、求心力と遠心力が交差し、霧に包まれているようで、本格的な改善がすんなりと進むかどうかはなお不透明である。

中日両国による水面下の折衝

 2012年12月の第2次安倍内閣発足後、安倍晋三首相は「地球儀を俯瞰する外交」戦略を打ち出した。11月の北京APEC首脳会議が開催されるまで、既に49ヵ国を訪問し、延べ200回以上の首脳会談も行った。そこで、北京APECの首脳会議で、中国の習近平主席との首脳会談が実現するかどうかは、「地球儀俯瞰外交」の真価を問われる最大のヤマ場となった。

 北京APECの開催が迫る6月、安倍首相は、密かに中国が主導する「博鰲(ボアオ)アジアフォーラム(BFA)」の理事長であり、中国から信頼の厚い福田康夫元首相と会談し、「首脳会談を是非実現したい」というメッセージを中国側に伝えるよう要請した。福田元首相は要請を受けた後の6月に訪中し、中国側と折衝した。