派閥が生まれるのは「自然現象」である

 私は、人の生き方は多様であったほうがいいという考えです。

 ですから、中立派を貫くのもいいし、孤高の存在をめざす人がいてもいい。島耕作の生き方も大好きです。

 ただし、「脱派閥」を“正義”と捉えるのは、いささか危険ではないかと考えています。なぜなら、「3人集まれば派閥が生まれる」と言われるように、人の集まりである会社に派閥が生まれるのはごく自然なことだからです。

 ピラミッド型の組織では、上層部にいけばいくほどポストは減りますから、ポスト争いは、制度上避けられない現象です。そして、あるポストに2人の候補がいれば、それぞれを支持する人々が派閥をつくるのは自然なことです。自分を重用してくれる人物を押し上げることによって、自らの利益を図るのは人間として自然な感情だからです。

 あるいは、どんな会社でも部署ごとに緊張関係があります。
 開発部門は売れ行きのはかばかしくない商品でも、営業部門に粘り強く売ってもらいたいと考えます。しかし、営業部門にすれば、売れ筋の商品を売り伸ばすほうがよほど営業効率がいい。営業部門は接待費をかけて取引先と関係を強化したいが、経理部門は経費削減を求めます。立場によって「正論」は異なるのです。そして、「正論」を共有する者どうしが仲間意識を強め、派閥化していくのは、ごくごく自然なことなのです。

 そもそも、人間は「群れる生き物」です。親近感のある人とのつながりを深めたい。仲間を増やして、集団内での「居場所」を確保したい。力の強い者の庇護下(ひごか)に入って、身の安全を確保したい。このような人間の本能に根差して生れるのが派閥です。いわば、派閥は自然現象なのです。

 つまり、「脱派閥=正義」と考えるのは、自然を否定するに等しいということです。これが危ない。自然に逆らっては、何事もうまくいかないからです。