「見えざる手」は市民革命の時代に発見された
スミスは『国富論』に先立ち、『道徳感情論』のなかで初めて「見えざる手」という言葉を1度だけ使っています。ここでは、生活必需品は富者であろうと貧者であろうと、結局、同じだけの量が合理的に分配(消費)される、と書いています。なお、「見えざる手」は、『国富論』でも登場するのは1ヵ所だけです。
受講者 放っておけば、最適な価格と生産量が市場で決定される、ということですね。18世紀後半というのは、市民が自由を獲得する市民革命の時代でした。
そうです。スミスが『国富論』を書いた時代は、英国が中世から近代へ移る18世紀後半で、社会の大きな変化が背景にあります。米国は『国富論』が出版されたのと同じ1776年に独立を宣言しました。
16世紀から17世紀の英国は、王と身分制度は神が定めた秩序であるとする王権神授説のもと、王-貴族-商工業者-農民、という身分の上下が確固として存在しました。神が定めた王権が統治しているのだから、身分制度は自明のものだというわけです。つまり、市民の自由などなかったのです。
しかし、英国では16世紀から17世紀にかけて変化してくる。商工業が成長すると、商工業者にとって王の絶対権力が邪魔になってきたんだ。自由な活動をしたいからね。
王権を制限して議会を優位にしたの1688年の名誉革命です。「権利の章典」が発布されました。
「権利の章典」は、議会の承認を受けなければ王は課税ができない、という英国の憲法を校正する法律です。名誉革命は王位争奪のクーデターだけれど、市民はここで王権に制限を加えたことになります。
受講者 すると、名誉革命こそ経済学の出発点になるのですね。
名誉革命の前から王権世俗化の流れはありました。王権世俗化とは、神から与えられた王権を聖なる領域から離脱させるという意味です。
英国には長い議会の歴史があります。国家とは何か、市民とは何か、と突き詰めて考えて議論する思想家がたくさん出てきます。そして、人間が生まれながらに持っている生命・自由・財産の普遍的な権利を守る自然法のもとに、国家は個々の人間との契約の上に成り立っているという社会契約説が生まれます。
この時代の思想史も少し振り返っておこう。
名誉革命に影響を与えた哲学者の1人がトマス・ホッブズ(1588-1679)です。ホッブズはまず、自由で平等な自然状態を戦争状態であると考えました。この戦争状態から人びとの自由と安全を守るために国家が成立するという論理です。重要なのは王権の世襲を否定したことでした。